覚尋
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この項目では、平安時代の僧について記述しています。室町時代の僧の同名の人物については「覚尋 (華厳宗)」をご覧ください。 |
覚尋(かくじん、長和元年(1012年)- 永保元年10月1日(1081年11月4日))は、平安時代中期の延暦寺の僧。父は左馬頭藤原忠経(権大納言藤原道頼の子)。
第32代天台座主の明快の入室弟子としてその門下に学ぶ。承保2年(1075年)から始まった法勝寺の造営に当たってはその導師を務め、承暦元年(1077年)の落慶供養の際にはその権別当に就任した。同年、第35代天台座主に就任。権僧正、法成寺座主を歴任し、金剛寿院座主と号した。
護持僧として仕えた後三条天皇、次代の白河天皇からの信任篤く、聖俗多岐に渡る相談事に与った。また、門下に大谷座主こと忠尋を育てている。
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