澄覚法親王
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澄覚法親王 | |
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続柄 | 雅成親王王子 |
称号 | 菩提院 |
身位 | 三品・法親王 |
出生 |
承久元年(1219年) |
死去 |
正応2年4月18日(1289年5月9日)(享年71) |
父親 | 雅成親王 |
母親 | 藤原親経女 |
役職 | 天台座主 |
澄覚法親王(ちょうかくほっしんのう、承久元年(1219年)- 正応2年4月18日(1289年5月9日))は、鎌倉時代の天台宗三千院の門跡。後鳥羽天皇の孫で、三品・雅成親王の子。房号は円融房。
略歴
[編集]比叡山に入り、梶井門跡尊快入道親王に師事して出家し、真仙僧正から灌頂を受けた。文永2年(1265年)、天台座主に任じられ、亀山天皇(後鳥羽天皇の曾孫)の護持僧となった。その後、一旦辞退したが文永8年(1271年)に再び護持僧に任じられ、元寇の危機感が高まる中で異国降伏の祈祷を行っている。文永11年(1274年)、皇孫ながら親王宣下を受け、法親王となった[1]。
脚注
[編集]- ^ 『勘仲記』文永11年3月2日条