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角替弘志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
角替 弘志
(つのがえ ひろし)
生誕 (1935-04-19) 1935年4月19日(89歳)
日本の旗 静岡県清水市
居住 日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
研究分野 教育学
研究機関 静岡大学
常葉学園大学
出身校 東京教育大学教育学部卒業
東京教育大学大学院修了
主な業績 社会教育についての研究
生涯学習についての研究
プロジェクト:人物伝
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角替 弘志(つのがえ ひろし、1935年4月19日[1] - )は、日本の教育学者社会教育学)。静岡大学名誉教授

静岡大学教育学部教授、静岡大学教育学部附属浜松小学校校長、静岡大学教育学部学部長常葉学園大学教育学部教授、常葉学園大学大学院国際言語文化研究科研究科長、常葉学園大学副学長、常葉学園大学学長などを歴任した。

来歴

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生い立ち

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静岡県清水市(のちの静岡市)出身。岡国民学校初等科に通っていたが、太平洋戦争空襲により校舎が焼失したため、庵原郡両河内村の知り合いの家に疎開することになった[2]。終戦に伴い、母と二人で、小笠郡佐束村の父方の伯父の下に身を寄せることになった[2]。伯父の家から佐束村国民学校の初等科に通うことになったが、のちに佐束村での生活を振り返って「つらい思い出、楽しい思い出が、この時期に一杯詰っている。しかし、それ以上に私にとって貴重だったことは、早くに亡くなった父の育った土地と家と学校で、私自身が生活し、学ぶことができたことであった」[2]と回顧している。その後、清水市に転居することになり、再び岡国民学校に戻った[2]東京教育大学に進学し、教育学部教育学科にて学んだ。東京教育大学を卒業してからは、そのまま東京教育大学の大学院に進学した。東京教育大学の大学院を修了した。

研究者として

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大学院修了後、静岡大学教育学部で助手講師助教授を務め、1977年教授。また、教育学部附属浜松小学校校長、教育学部学部長など、静岡大学における要職を兼務した。その間、イギリスリーズ大学にて客員教授を兼任。1999年3月、静岡大学を退官。静岡大学名誉教授。その後、常葉学園大学に転じ、教育学部教授[3]。大学院国際言語文化研究科研究科長[3][4]副学長など[3]、常葉学園大学における要職を兼務した。2010年、常葉学園大学学長に就任[5]。常葉学園大学、浜松大学富士常葉大学の3大学の統合に尽力した。社会教育生涯学習の分野で第一人者と評される。また、専門分野を生かし文部省生涯学習審議会特別委員など、多くの公職を兼任した。

2013年11月瑞宝中綬章受章[6]

著作

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単著

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共著

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編纂

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脚注

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出典

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  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.330
  2. ^ a b c d 角替弘志「終戦、そして6・3制へ」大東町6・3制教育のあゆみ編集委員会編集『大東町6・3制教育のあゆみ40年史』城東編、大東町教育委員会、1989年、8頁。
  3. ^ a b c 常葉学園大学・大学院 - 常葉学園大学 教員一覧”. 常葉学園大学 (2006年4月11日). 2015年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月29日閲覧。
  4. ^ 角替弘志「世界を視野に入れた高度専門職業人の養成」『常葉学園大学・大学院 - 国際言語文化研究科常葉学園大学2005年6月6日
  5. ^ 角替弘志「アジア圏における教育を担う人材の育成と日本の大学の役割」安藤雅之監修、大矢隆二・山根悠介編集『平成24年度常葉学園大学学内共同研究――アジア圏における教育を担う人材の育成と日本の大学の役割』「アジア圏における教育を担う人材の育成と日本の大学の役割」常葉学園大学学内共同研究2013年3月19日、4頁。
  6. ^ 平成25年秋の叙勲 瑞宝中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 14 (2013年11月3日). 2015年11月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月27日閲覧。

関連人物

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関連項目

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外部リンク

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学職
先代
海野泰男
常葉大学学長
第6代:2010年 - 2013年
次代
西頭德三