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諫早市立飯盛東小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
諫早市立飯盛東小学校
地図北緯32度46分57.0秒 東経130度1分1.0秒 / 北緯32.782500度 東経130.016944度 / 32.782500; 130.016944座標: 北緯32度46分57.0秒 東経130度1分1.0秒 / 北緯32.782500度 東経130.016944度 / 32.782500; 130.016944
過去の名称 第五大学区長崎県管下第三中学区高来郡江ノ浦小学校
諫早部公立江ノ浦小学校
江ノ浦部公立江ノ浦小学校
江ノ浦学区公立江ノ浦小学校
戸石学区公立中等江ノ浦小学校
尋常江ノ浦小学校
江ノ浦尋常小学校
江ノ浦尋常高等小学校
江ノ浦村国民学校
江ノ浦村立江ノ浦小学校
飯盛村立飯盛東小学校
飯盛町立飯盛東小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 諫早市
設立年月日 1973年明治6年)5月10日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210001615 ウィキデータを編集
所在地 854-1103
長崎県諫早市飯盛町中山653番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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諫早市立飯盛東小学校(いさはやしりつ いいもりひがししょうがっこう、Isahaya City Imori Higashi Elementary School)は、長崎県諫早市飯盛町中山にある公立小学校

概要

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歴史
1873年明治6年)に「江ノ浦小学校」として創立。校名に飯盛が登場するのは1955年(昭和30年)。2013年(平成25年)に創立140周年を迎えた。
校章
中央に「東」の文字を置いている。

校歌

作詞は田島日露樹、作曲は深町一朗による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「飯盛東小」が登場する。
校区
諫早市飯盛町後田、下釜、久保、佐田、平古場、野中、山口、中山、開、上原(飯盛地区東部)。中学校区は諫早市立飯盛中学校[1]

沿革

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  • 1873年(明治6年)5月10日 - 中山名圍(かこい)(江ノ浦神社敷地内)に「第三大区三ノ小区 江ノ浦小学校」が開校。旧藩時代の三町分庄屋跡を利用。児童数は約80名、訓導は新宮義衛。
  • 1874年(明治7年)7月8日 - 「第五大学区長崎県管下第一中学区高来郡江ノ浦小学校」として長崎県に認可される。
  • 1877年(明治10年)- 「第五大学区長崎県管下第三中学区高来郡江ノ浦小学校」に改称。
  • 1878年(明治11年)- 郡制の施行により、北高来郡に属することとなる。「北高来郡諫早部公立江ノ浦小学校」に改称。
  • 1879年(明治12年)- 「北高来郡江ノ浦部公立江ノ浦小学校」に改称。
  • 1880年(明治13年)- 「北高来郡江ノ浦学区公立江ノ浦小学校」に改称。後田名の井樋に分校、小ヶ倉名(現・諫早市小ヶ倉町)に分教場を設置。
  • 1883年(明治16年)- 開名字宮園に西洋風の木造2階建ての新校舎が完成。分校を統合。
  • 1885年(明治18年)- 「北高来郡戸石[2]学区公立中等江ノ浦小学校」に改称。
  • 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、「尋常江ノ浦小学校」に改称。修業年限を4年とする。江ノ浦・田結・戸石[2]村の学校組合を解消。
  • 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、江ノ浦村立の小学校となる。この時小ヶ倉地区が分離の上、小栗村に統合される。
  • 1890年(明治23年)- 補習科(修業年限2年)を併設。
  • 1891年(明治24年)- 補習科を廃止。
  • 1892年(明治25年)4月 - 小学校令の改正により、「江ノ浦尋常小学校」に改称。
  • 1893年(明治26年)- 木造平屋建ての校舎を増築。
  • 1894年(明治27年)4月 - 再び補習科(修業年限2年)を併設。
  • 1896年(明治29年)4月 - 補習科を廃止し、高等科(修業年限2年)を併設し、「江ノ浦尋常高等小学校」に改称(尋常科4年・高等科2年)。
  • 1898年(明治31年)- 児童数の急増により一時江ノ浦神社や普同寺に分教室を開設。高等科3・4年を新設(尋常科4年・高等科4年)。
  • 1900年(明治33年)- 木造2階建ての新校舎1棟を増築したため、江ノ浦神社と普同寺の分教場を廃止。
  • 1902年(明治35年)- 江ノ浦農業補習学校を併設。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される(尋常科6年・高等科2年)。
  • 1910年(明治43年)- 開名の安養寺(現・いいもりコミュニティ会館)に木造平屋建て校舎を4棟建設し、移転を完了。
  • 1918年大正7年)- 木造平屋建て校舎1棟を増築。
  • 1926年(大正15年)- 併設の農業補習学校が青年訓練認定となる。
  • 1930年(昭和5年)- 暴風により、南校舎東部分3教室が倒壊。間もなく復旧。
  • 1931年(昭和6年)- 北校舎2教室を増築。
  • 1934年(昭和9年)- 江ノ浦村公会堂兼講堂が完成。校舎を増築。
  • 1935年(昭和10年)6月 - 青年学校令の施行により、併設の農業補習学校が「江ノ浦青年学校」になる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「江ノ浦村国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。教室を増築。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 国民学校の初等科が改組され、「江ノ浦村立江ノ浦小学校」となる。
    • 国民学校の高等科と青年学校の普通科が改組され、「江ノ浦村立江ノ浦中学校」(新制中学校)が発足。小学校に併設される。
  • 1955年(昭和30年)2月11日 - 江ノ浦村と田結村が合併して飯盛村が発足。「飯盛村立飯盛東小学校」に改称。
  • 1960年(昭和35年)- 給食を開始。
  • 1965年(昭和40年)4月1日 - 飯盛村が町制施行により飯盛町となったため、「飯盛町立飯盛東小学校」に改称。
  • 1972年(昭和47年)- 現在地に新校舎が完成し、移転を完了。給食センターの完成により完全給食を開始。
  • 1976年(昭和51年)- 体育館が完成。
  • 1972年(昭和47年)- 現在地に校舎が完成し、移転を完了。給食センターが完成し完全給食を開始。
  • 1976年(昭和51年)- 体育館が完成。
  • 1978年(昭和53年)- プールが完成。
  • 1998年(平成10年)- コンピュータを設置。
  • 1987年(昭和62年)- 運動場の大改修工事を完了。
  • 2005年(平成17年)3月1日 - 市町村合併により「諫早市立飯盛東小学校」(現校名)に改称。校旗を新調。
  • 2007年(平成19年)4月1日 - 特殊学級(情緒)を設置。
  • 2009年(平成21年)- AEDを設置。特殊学級の呼称を特別支援学級に変更。
  • 2011年(平成23年)- 校舎の耐震化工事を完了。
  • 2012年(平成24年)- 運動場を整備。
  • 2013年(平成25年)- 体育館の耐震化工事を完了。

アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの国道・県道

周辺

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脚注

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  1. ^ 諫早市立小・中学校の通学区域に関する規則 - 諫早市ウェブサイト
  2. ^ a b 戸石村はもともと北高来郡であったが、1955年(昭和30年)2月11日西彼杵郡矢上村・北高来郡古賀村と合併し西彼杵郡東長崎町となり、1963年(昭和38年)4月22日長崎市に編入された。

参考文献

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  • 「飯盛町郷土誌」(2004年(平成16年)12月1日発行、飯盛町)p.508 - p.518。

関連事項

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外部リンク

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