谷一夫
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谷 一夫 たに かずお | |
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生年月日 | 1941年10月4日 |
出生地 | 愛知県一宮市 |
没年月日 | 2024年12月15日(83歳没) |
出身校 | 名古屋大学医学部 |
前職 | 愛知県一宮市長 |
所属政党 | 無所属 |
称号 | 医学士(名古屋大学) |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1999年1月24日 - 2015年1月19日 |
谷 一夫(たに かずお、1941年(昭和16年)10月4日[1] - 2024年(令和6年)12月15日[2])は、日本の政治家、医師。元愛知県一宮市長(4期)。
来歴
[編集]愛知県一宮市生まれ。一宮市立宮西小学校、一宮市立北部中学校、愛知県立一宮高等学校、名古屋大学医学部卒業。大学卒業後、名鉄病院でのインターンを経て、中部労災病院、名古屋大学医学部付属病院分院臨港病院の外科に勤務する。1974年、谷医院を開院し開業医に転じる。1998年4月1日、一宮市医師会会長に就任[3]。
1998年12月15日、一宮市長の神田真秋が愛知県知事選挙に出馬するために辞職。同日から、一宮市議会の江崎鉄磨系の一真会と海部俊樹系の創誠会は後継候補者を調整。12月24日、一真会、創誠会、公明党、民主党などの市議各派の代表計6人は谷に市長選への出馬を要請し、谷は承諾した[4]。
1999年1月24日に行われた一宮市長選挙に民主党・公明党・自由党の推薦を受けて立候補。前市議の矢田政弘、日本共産党推薦の労組幹部ら3候補を破り、初当選を果たした[5]。
以後4期連続当選。在職中、全国市長会評議員や東海市長会理事、社団法人日本下水道協会副会長等の役職を務めた。
2014年6月25日の記者会見で次期市長選挙に出馬しないことを発表[6]。2015年1月19日付で辞職した[7][8]。同年2月1日に行われた市長選は、谷が後継推薦する元総務省職員の中野正康が、江崎鉄磨を後ろ盾とする元市議の神戸健太郎など4人の候補者を破り、初当選した[9][10]。
2024年12月15日、敗血症性ショックのため死去[2]。83歳没。
脚注
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、239頁。
- ^ a b “前一宮市長の谷一夫さん死去、83歳 市長を4期16年務める”. 中日新聞 (2024年12月17日). 2024年12月17日閲覧。
- ^ 『中日新聞』1998年3月27日付朝刊、尾張総合版、21面、「会長に谷氏 一宮市医師会」。
- ^ 『中日新聞』1998年12月25日付朝刊、24面、「一宮市長選 谷氏が出馬承諾 市医師会長 市議大半が支持へ」。
- ^ 『中日新聞』1999年1月25日付朝刊、1面、「一宮市長に谷氏 大差で初当選」。
- ^ 谷・一宮市長:次期市長選、不出馬表明 /愛知[リンク切れ]
- ^ 一宮市歴代市三役|一宮市
- ^ “本日、谷一夫一宮市長が、平成27年1月19日をもって退職を申し出たようす”. 一宮市議会議員 伊藤ひろみちのBlog (2014年12月15日). 2019年11月3日閲覧。
- ^ 『中日新聞』2014年12月28日付朝刊、尾張版、18面、「一宮市長選 5人目が出馬へ 保守分裂 各陣営に波紋」。
- ^ 植木創太「一宮市長選 深まらない政策論争 現職陣営にしこり 新人陣営 準備不足」 『中日新聞』2018年12月26日付朝刊、県内版、14面。