谷岡楓太
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県広島市 |
生年月日 | 2001年8月29日(23歳) |
身長 体重 |
175 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2019年 育成選手ドラフト2位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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谷岡 楓太(たにおか ふうた、2001年8月29日 - )は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]広島市立日浦中学校時代は[1]、軟式のクラブチーム安シニアに所属[2]。
高校は東広島市にある武田高等学校に進学。同校は部活校ではなく大学進学に力を入れている進学校のため平日の練習時間は50分程度と短い[2][3]。野球部は全国大会への出場もなく、スポーツ推薦の部員がいない、練習場も他の運動部と共用するなど制約が大きいなか四国アイランドリーグplusなどでプロ経験のある監督の岡嵜雄介のもと独自のトレーニングを積んでいった[2]。高校入学当時のストレートの最速は125km/hほどだったのが、最終的には最速152km/hまでアップした[3]。
2019年10月17日に行われたドラフト会議では、オリックス・バファローズから育成2位指名を受け、11月18日に支度金330万円、年俸220万円で入団に合意した[4]。背番号は002。同校の選手がプロ野球の指名を受けるのは初めてであった[5]。
オリックス時代
[編集]2020年は、ウエスタン・リーグで1試合に登板し、1回を投げて3安打3四球3失点、防御率27.00を記録した[6]。
2021年は、一軍・二軍共に登板がなかったが、フェニックスリーグで3試合に中継ぎ登板し、共に無失点に抑えた[7]。
2022年は右肘の状態が悪く、注射を打ちながら過ごし[8]、メンタル面でもやられてしまったシーズンだった[9]。前年に続き一軍・二軍共に登板はなく、10月4日に戦力外通告を受けた[10]。右肘の状態の悪さもあり、12球団合同トライアウトには参加せずに一度は現役引退を決断した[8]。
オリックス退団後
[編集]戦力外通告を受けた直後からジムのトレーナーのアルバイトを始める[9]。2023年3月、父親とキャッチボールをした際に痛みが全くなく、野球再開を考え始める[8]。アルバイトを続けつつ、高島誠プロデュース「Mac's Trainer Room」で右肘のリハビリに励み、実戦復帰を目指した[9]。9月に知人の紹介で社会人クラブチーム・広島鯉城クラブに所属し、10月末に沖縄のウインターリーグに参加。そこでオリックス退団後初めてブルペンに入ると、1年のブランクがありながら球速148km/hを計測し、再びプロ野球を目指す決心がついた。しかし、試合で投げる前にライブBPで登板した際に再び右肘を故障してしまい、同リーグへの参加を辞退することになった[8]。12月に右肘のクリーニング手術を受けている[11]。
また、同年10月には自身のInstagramで大学に通っていることを報告しており[12]、のちのFull-Countの取材で新潟産業大学の通信制と明かしている[9]。
姫路時代
[編集]手術後のリハビリを終え[8]、2024年4月30日、関西独立リーグ(さわかみ関西独立リーグ)の姫路イーグレッターズに入団することが発表された[13]。入団後には実戦復帰を果たしている[8]。しかし、7月13日に任意引退が発表された[14]。
選手としての特徴
[編集]詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
独立リーグでの年度別投手成績
[編集]出典は一球速報.com[15]。
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2024 | 姫路 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 0.000 | 65 | 11.2 | 12 | 0 | 14 | - | 2 | 11 | 2 | 0 | 13 | 9 | 6.94 | 2.23 |
通算:1年 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 0.000 | 65 | 11.2 | 12 | 0 | 14 | - | 2 | 11 | 2 | 0 | 13 | 9 | 6.94 | 2.23 |
背番号
[編集]- 002(2020年 - 2022年)
- 14(2024年)
脚注
[編集]- ^ 「【クラブ】硬式野球部 谷岡楓太君 オリックスと育成契約」武田中学校・高等学校。2020年11月14日閲覧。
- ^ a b c 高木遊「ドラフト候補を育てた広島の無名校。「育てることと夏に勝つことは違う」」『Number Web』文藝春秋、2019年7月31日。2020年2月24日閲覧。
- ^ a b c 「【広島】武田コールド発進 “安芸の豪腕”谷岡、4番手で登板も力んでMAX148キロ」スポーツニッポン、2019年7月17日。2020年2月24日閲覧。
- ^ 「オリックス、谷岡と合意 育成ドラフト2位、広島・武田高」『サンケイスポーツ』2019年11月18日。2022年10月31日閲覧。
- ^ 「練習50分武田高、2年連続プロ入り?中学4番手からドラフト候補に成長。」『Number Web』2020年7月9日。2022年10月31日閲覧。
- ^ 「2020年度 オリックス・バファローズ 個人投手成績(ウエスタン・リーグ)」『日本野球機構』。2022年10月31日閲覧。
- ^ 「オリックス 育成の谷岡は現状維持で更改 フェニックスリーグ3試合で無失点」『デイリースポーツ』2021年12月1日。2022年10月31日閲覧。
- ^ a b c d e f 真柴健「わずか3年間で戦力外…21歳で"引退宣言"も「まだできる」 2軍1登板から目指す逆襲」『Full-Count』2024年6月6日。2024年6月6日閲覧。
- ^ a b c d 真柴健「育成3年→戦力外で就いたアルバイト 22歳の苦悩…“空白の1年”で選んだ大学生活」『Full-Count』2024年6月7日。2024年6月9日閲覧。
- ^ 「【オリックス】沢田圭佑、榊原翼、谷岡楓太、松山真之、鶴見凌也、広沢伸哉が戦力外」『日刊スポーツ』2022年10月4日。2022年10月31日閲覧。
- ^ 谷岡 楓太 [@tanioka_futa] (2023年12月5日). "病院へ右肘の検査をしに行きました。". Instagramより2024年5月1日閲覧。
- ^ 谷岡 楓太 [@tanioka_futa] (2023年10月13日). "報告 まずは1年越しの報告となってしまい申し訳ありません。今まで本当に応援ありがとうございました". Instagramより2023年10月30日閲覧。
- ^ 「元オリックス最速152キロ右腕・谷岡楓太、関西独立リーグ姫路に新加入「NPB復帰を目指す」」『日刊スポーツ』2024年5月1日。2024年5月1日閲覧。
- ^ 公示 2024年7月13日 - 関西独立リーグ(2024年7月13日)2024年7月13日閲覧。
- ^ 姫路イーグレッターズ2024公式戦 - 一球速報.com
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 谷岡楓太 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE