コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

越田剛史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
越田 剛史
名前
愛称 アントン
カタカナ コシダ タケシ
ラテン文字 KOSHIDA Takeshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1960-10-19) 1960年10月19日(64歳)
出身地 石川県金沢市
身長 182cm
体重 78kg
選手情報
ポジション DF
ユース
1976-1978 日本の旗 金沢桜丘高校
1979-1982 日本の旗 筑波大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1983-1989 日本の旗 日産自動車 97 (6)
1990-1996 日本の旗 金沢サッカークラブ
通算 97 (6)
代表歴
1979  日本U-20 3 (0)
1980-1985[1] 日本の旗 日本 19 (0)
監督歴
2007- 日本の旗 北陸大学
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

越田 剛史(こしだ たけし、1960年10月19日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF(センターバック、サイドバック)。

来歴

[編集]

石川県立金沢桜丘高等学校時代は無名の選手であったが、2年次に石川県選抜の一員として参加した国体予選で関係者の目に留まり、日本ユース代表候補に選出された。

筑波大学に入学後は蹴球部に所属し、1年次にユース代表として1979 FIFAワールドユース選手権に出場すると、2年次の1980年には日本代表に選出され、同年12月22日1982 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選シンガポール代表戦でデビューすると、1982年アジア競技大会など、国際Aマッチ19試合に出場した[1]

大学卒業後の1983年にユース代表時代の同僚の水沼貴史柱谷幸一田中真二らと共に日本サッカーリーグ1部の日産自動車サッカー部へ加入。1983年と1985年天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝に貢献した。

現役時代には身体能力を生かした長身のセンターバックとして期待されたが、クリアミスや攻撃参加した隙を突かれて失点をするなどのDFとしては致命的なミスも多く[2]、日本代表では1985年に同じポジションを務める石神良訓とのポジション争いに敗れると代表からは外れ、所属する日産ではオスカー佐野達の加入によりサイドバックとしてプレーするようになった。

1988-89シーズンではレギュラーとして、JSLカップ、天皇杯の二冠に貢献。リーグ戦においても16試合にスタメン出場していたが、教員となるためにシーズン途中で退団することを決意。1989年3月22日に行われたJSL1部第16節、三菱重工戦を最後に、郷里の石川県に戻り石川県立盲学校に赴任した。その後は金沢サッカークラブ(ツエーゲン金沢の前身)でプレーを続けた[3]

引退後は指導者の道へ進み、母校の金沢桜丘高校の監督として長年指揮を執った。現在は北陸大学の教授として教鞭を執る傍ら、Jリーグのツエーゲン金沢のテクニカルディレクターを務めている。2008年には日本サッカー協会公認S級ライセンスを取得した[4]

2023年6月1日、ベトナムサッカー連盟のテクニカルディレクターに任命される[5]

所属クラブ

[編集]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1983 日産 19 JSL1部 15 1
1984 16 1
1985 4 21 2
1986-87 17 1
1987-88 12 1
1988-89 16 0
1990 金沢SC 北信越 6 3 - - 6 3
1991 8 - - 8
1992 5 2 - 1 0 6 2
1993 8 6 - - 8 6
1994 - -
1995 - -
1996 9 - - 9
通算 日本 JSL1部 97 6
日本 北信越
総通算 97 6

代表歴

[編集]

出場大会など

[編集]

試合数

[編集]
  • 国際Aマッチ 19試合 0得点(1980-1985)[1]


日本代表国際Aマッチ その他期間通算
出場得点 出場得点出場得点
1980 1 0 1 0 2 0
1981 1 0 5 0 6 0
1982 7 0 9 1 16 1
1983 6 0 12 0 18 0
1984 3 0 4 0 7 0
1985 1 0 0 0 1 0
通算 19 0 31 1 50 1

出場

[編集]
No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1980年12月22日 香港の旗香港  シンガポール ○1-0 川淵三郎 ワールドカップ予選
2. 1981年09月14日 マレーシアの旗クアラルンプール  インドネシア ○2-0 森孝慈 ムルデカ大会
3. 1982年03月21日 大韓民国の旗ソウル  韓国 ●0-3 日韓定期戦
4. 1982年07月15日 ルーマニアの旗スチャバ  ルーマニア ●0-4 国際親善試合
5. 1982年07月18日 ルーマニアの旗ブカレスト  ルーマニア ●1-3 国際親善試合
6. 1982年11月21日 インドの旗ニューデリー  イラン ○1-0 アジア大会
7. 1982年11月23日 インドの旗ニューデリー  南イエメン ○3-1 アジア大会
8. 1982年11月25日 インドの旗ニューデリー  韓国 ○2-1 アジア大会
9. 1982年11月28日 インドの旗ニューデリー  イラク ●0-1(延長) アジア大会
10. 1983年02月12日 シリアの旗ダマスカス  シリア △2-2 国際親善試合
11. 1983年09月04日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  フィリピン ○7-0 オリンピック予選
12. 1983年09月07日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  フィリピン ○10-1 オリンピック予選
13. 1983年09月15日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  チャイニーズタイペイ ○2-0 オリンピック予選
14. 1983年09月25日 ニュージーランドの旗オークランド  ニュージーランド ●1-3 オリンピック予選
15. 1983年10月07日 日本の旗東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  ニュージーランド ●0-1 オリンピック予選
16. 1984年03月06日 ブルネイの旗バンダルスリブガワン  ブルネイ ○7-1 国際親善試合
17. 1984年04月18日 シンガポールの旗シンガポール  マレーシア ●1-2 オリンピック予選
18. 1984年04月21日 シンガポールの旗シンガポール  イラク ●1-2 オリンピック予選
19. 1985年11月03日 大韓民国の旗ソウル  韓国 ●0-1 ワールドカップ予選

指導歴

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c “越田 剛史”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_ka/takeshi_koshida.html 
  2. ^ 『サッカーダイジェスト』1985年7月号134、135頁
  3. ^ 『サッカーダイジェスト』1989年6月号28頁
  4. ^ a b c d e 平成20年度 第6回理事会 協議事項 (PDF) 日本サッカー協会 2008.09.11
  5. ^ "Ông Koshida Takeshi chính thức đảm nhiệm cương vị Giám đốc kỹ thuật LĐBĐVN" (Press release) (ベトナム語). ベトナムサッカー連盟. 1 June 2023. 2023年6月1日閲覧

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]