コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

過去に存在した中国地区・四国地区のダイエーの店舗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダイエー > 過去に存在したダイエーの店舗 > 過去に存在した中国地区・四国地区のダイエーの店舗

過去に存在した中国地区・四国地区のダイエーの店舗(かこにそんざいしたちゅうごくちく・しこくちくのダイエーのてんぽ)は、株式会社ダイエーおよび子会社の中国地区・四国地区における閉鎖店舗を掲載している。

かつてフランチャイズ提携によりダイエーの店舗として営業していた店舗で、フランチャイズ中の閉店、フランチャイズ契約解除による離脱の店舗については過去に存在したダイエーのフランチャイズ店舗を参照。

  • 無印はダイエー。それ以外は基本的にブランド名を記述。
  • 店舗名の後ろについている×は現在建物が解体された店舗。
  • ()内の旧:○○は、運営していた会社の変遷。ただし、閉店直後の運営会社については下記に記述する。
  • SC名称は届出が出ていた店舗のみ可能な限り記述する。

中国地区

[編集]

2010年(平成22年)9月20日に下関店が閉店して完全に撤退することになった[1][2]

鳥取県

[編集]
  • 鳥取店 → トポス鳥取店[3](1972年(昭和47年)9月21日[4] - 1989年(平成元年)10月[3]10日[要出典] - 1998年(平成10年)11月30日[5]鳥取市栄町313-12[6] SC名称:(旧:鳥取ショッパーズプラザ)
    鉄筋コンクリート造地下1階・地上5階建て[7]、店舗面積約5,621m2[7] → 約6,258m2[6]
    本通り商店街の一角に「鳥取エフワン」の子会社「日本海リース」が建設したビルに出店していた[7]。当店の開店により鳥取市内の他の商店街の売上が約20%-30%減少し、地元の本通り商店街の売上は増加したほか、鳥取大丸が増床するなどの影響が生じた[8]
    1989年(平成元年)9月末で一旦営業を終了し、同年10月にディスカウントストアのトポスに業態転換した[9]
    現在は解体され、マンションになっている。[要出典]
旧ダイエー鳥取駅南店(鳥取市役所駅南庁舎)
ダイエー時代の外壁は白であった。
  • 鳥取駅南店(1989年(平成元年)11月28日[10] - 2001年(平成13年)2月28日[11][12]) 鳥取市 SC名称:鳥取駅南ショッピングセンタービル
    直営店舗面積約8,568m2[13]
    山陰ステーション開発株式会社が所有する建物に出店。撤退後、2004年(平成16年)11月1日に「鳥取市役所駅南庁舎」となった[14]。これを皮切りに2005年(平成17年)5月に鳥取市立中央図書館が2階に、2006年(平成18年)4月に放送大学が5階に鳥取学習センターをが各々移転したほか、2007年(平成19年)4月に鳥取大学も5階にサテライトセンターを設置するなど公共施設が多数集まった施設となっている[15]
  • 倉吉サンピア店[16]東宝企業1983年(昭和58年)9月2日開店[17]、1995年(平成7年)11月直営化[3] - 2005年(平成17年)10月31日[18][19]倉吉市大正町2-61-2[20] SC名称:倉吉サンピア[16]
    敷地面積約6,839m2[20]、鉄筋コンクリート造地上4階建て塔屋1階[20]、延べ床面積約24,300m2[20]、店舗面積約8,084m2[20](当社店舗面積約3,638m2[20])、駐車台数約500台[20]
    倉吉サンピアが所有する「サンピア」の核店舗として店舗面積約4,919m2で出店していた[16]
    ピーク時には売上高150億円を上げ、倉吉市中心市街地の核店舗のとして高い集客力を誇っていた[19]

岡山県

[編集]

岡山市

[編集]
  • (初代)岡山店[21] → 柳川店(1964年(昭和39年)9月16日[21]→1980年(昭和55年)3月1日にトポス柳川店へ業態転換[22][23][24] - 2004年(平成16年)8月31日[25]) 岡山市中山下1-6-45-301[26](現・北区
    店舗面積約5,302m2[27]
    中国地方での第1号店[25]・岡山店として岡山フジビルに出店した[21]。(1966年(昭和41年)2月25日に岡山フジビルは会社更生法適用を申請[28]。)
    トポス業態転換1号店[24][29]わたなべ生鮮館柳川いちば。トポス時代は2棟のビルで営業していたが、わたなべ生鮮館柳川いちばとなってからは柳川筋沿いの中央会館ビルのみで営業し、裏通り側のビルは解体された。2012年にわたなべ生鮮館柳川いちばが近隣のビルに移転、ビル解体[要出典]

  • 岡山駅前店 → ディ&ディズ店 → ZAP店(1966年(昭和41年)3月16日[30] - 1985年(昭和60年)に「ZAP」に業態転換[31]) 岡山市北区[31]本町6-30[26]
    店舗面積1,412m2[30] → 3,272m2[27]
    岡山店の開店による差別化を図るために雑貨やスポーツ用品などの商品を扱う店舗へ業態転換して[24]ディ&ディズ店となったが1984年(昭和59年)9月に閉店した[32]。1985年(昭和60年)に「ZAP」に業態転換[31]。1994年(平成6年)に岡山オーパとなった[31]
    天満屋が所有する地上9階地下2階のビルの地下1階から地上4階に入居していた[31]
ダイエー岡山店(岡山市)※2005年(平成17年)11月30日閉店
  • (2代目)岡山店(1978年(昭和53年)11月3日[33] - 2005年(平成17年)11月30日[34][35]) 岡山市駅前町1-8-5-701[26] SC名称:ドレミの街
    直営店舗面積約16,665m2[36]
    近鉄百貨店が1976年(昭和51年)4月に出店を撤回した後に出店を表明して開業した

岡山駅前再開発第6ブロックのドレミの街の核店舗[33]。新核店舗は天満屋ハピーズ岡山駅前店[35](2006年(平成18年)3月17日開店[37])。

  • ドレミの街直営店舗やテナントになった。2016年9月30日をもって一部のテナントを除き閉鎖され、耐震工事と全面リニューアルが行われたのち、2018年12月7日にICOTNICOTとして再開業した[要出典]
  • ユニード岡山店×[要出典](1969年(昭和44年)12月11日[38] - 1981年(昭和56年)1月18日[39])岡山市内山下1-12-21[40][41]
    店舗面積約5,279m2[40]
  • ユニード岡南店(1976年(昭和51年)11月18日[42][43] - 1981年(昭和56年)9月6日[39])岡山市並木町2-14-15[2]
    店舗面積約2,175m2[40]
    閉店後の建物はそのまま、大幅に改装され、ボウリング場「ネグザスボウル」が入居している[要出典]

岡山市以外

[編集]
  • 倉敷店(1970年(昭和45年)7月10日[44] - 2002年(平成14年)5月31日[45]倉敷市昭和1-510[46] SC名称:(旧:倉敷ショッパーズプラザ)
    敷地面積約7,882m2[46]、延べ床面積17,917.769m2[47]、店舗面積約10,548m2[46]
    鉄筋コンクリート造6階建てのダイエー棟(店舗面積約6,030m2)と2階建ての専門店棟の2棟(店舗面積約3,700m2)で構成され[44]、L字型に配置された両棟の間に広場が設けられていた[47]
    開業初日には5万人の来店客があった[47]
    建物は解体され、2004年(平成16年)12月に「マルナカ倉敷駅前店」となっている[48][49]
  • 水島店(1985年(昭和60年)4月26日[50]‐1998年(平成10年)[25]12月31日) 倉敷市水島西千鳥町6[50] SC名称:ノヴァシティ第一ビル
    敷地面積約7,280m2[50]、鉄筋コンクリート造地下1階地上10階建て塔屋1階[50]、延べ床面積約22,435m2[50]、店舗面積約5,917m2[50](当社店舗面積約4,000m2[50])、駐車台数約500台[50]
    水島臨海鉄道水島駅前の再開発ビルに入居していた[25]
  • 久世店(1993年(平成5年)12月3日[51] - 1995年(平成7年)12月) 真庭郡久世町真庭市久世2415[52]SC名称:久世ロマンチックタウンアルティ[52]
    久世ロマンチックタウンアルティの店舗面積約10,123m2[52]、延べ床面積約13,098m2[52]
    ショッパーズエイシンがコアプランニングが開設したショッピングセンターに出店した[51]。売上げの減少により早々に撤退。
    久世ロマンチックタウンアルティには「天満屋ハピータウン久世店」(店舗面積約4,881m2)が入居した[52]が、2009年2月28日に閉店[53]建物は解体され、跡地には2010年8月6日に「マルイアルティ店」が開業した。[要出典]

広島県

[編集]

広島市

[編集]
  • 広島店×(1970年(昭和45年)4月18日[54][55] - 2005年(平成17年)11月27日[56]広島市中区袋町3-1[57] SC名称:ショッパーズプラザ広島(旧:広島ショッパーズプラザ)
    店舗面積7,473m2[54]
    閉店後、ダイエーが所有していた土地であったため、アメリカのローンスターグループの投資会社、スターキャピタルに売却した[56]。ダイエーにとって不採算店の売却は第1号となった[58]
    2006年(平成18年)1月[59]26日にユアーズ袋町店が出店したのを皮切りに[60]、同年2月17日にデオデオネバーランド袋町店(建物閉鎖後に中区大手町へデオデオネバーランド広島本店と改称の上移転の後、エディオン広島本店新館建設に伴い同本館に再移転。ネバーランド広島本店ビルはアニメイト等が入居のアニメイトビルに転換)[60][61]ザ・ダイソー[60]広島袋町店などが出店していたが、家主の都合で2008年(平成20年)2月に閉鎖された。建物は2008年(平成20年)に解体され[62]、2010年(平成22年)3月にグランドパーキング本通が完成し、1階はユアーズLIVI広島本通店が入った。
  • 広島駅前店(1971年(昭和46年)11月12日[63] - 2005年(平成17年)11月27日[64][65]) 広島市南区松原町10-1[6] SC名称:加藤ビル(旧:広島駅前ショッパーズプラザ)
    直営店舗面積約7,110m2[6]
    丸広産業株式会社が所有する「加藤ビル」内に出店。[要出典]退去後は、飲食店やゲーム店、パチンコ店等がある広島フルフォーカスビルになった。館内にはひろしまお好み物語 駅前ひろばがある。[独自研究?]
  • ユニード広島店×(1967年(昭和42年)10月25日[66] - 1992年(平成4年)1月31日) 広島市紙屋町2-3-11[66]
    広島の本通り商店街の西端に出店していた地下1階、地上5階で売場面積4,755m2の店舗で1969年(昭和44年)度には40億円を超える売り上げを上げていた[67]
    旧ユニードが本州にも出店していた数少ない店舗のひとつ。開店当時は「丸栄広島店」。
    閉店後、しばらく建物は放置され、その後解体。跡地には、当時ダイエー系列のローソンフォルクスが出店した。のちにその建物も解体され、現在はローソンとパチンコ店などが出店しているテナントビル「アーバンBLD紙屋町」が建っている。[独自研究?]

広島市以外

[編集]
  • 福山店 → トポス福山店 → 福山店(2代)(1968年(昭和43年)8月16日[68] - 2005年(平成17年)10月31日[69][70]福山市三之丸町8-1[57] SC名称:福山ショッパーズプラザ[71]
    敷地面積約3,330m2[68]、鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建て[68]、延べ床面積約18,349m2[71]、店舗面積10,624m2[71]

  • 開業時には屋上遊園地が開設されていた[72]
    1986年(昭和61年)4月[73]12日[要出典]にトポスに業態変更したが[69][74]、2001年(平成13年)に西館は総合スーパーの[69]ダイエーに業態変更し[74]、その際に東館は直営からテナントに転換してフタバ図書が入居した[69]
    店舗跡のうち、西館は2006年(平成18年)4月12日に穴吹工務店が取得し[74]、東館はトモテツセブンが取得して[74]「トモテツビル」となった。
  • ハイパーマート東広島店 → ディー・ハイパーマート東広島店[75](1998年(平成10年)3月20日 - 2002年(平成14年)8月31日) 東広島市
    店舗面積10,793m2[76]
    当初は直営であったが、1999年(平成11年)8月1日に株式会社ダイエー・ハイパーマートに[77]、さらに2000年(平成12年)9月1日に株式会社ディー・ハイパーマートに移管された[75]
    ハイパーマート時代の建物を一部改良して2002年(平成14年)10月25日に地元企業イズミ運営のゆめタウン学園店が開業した[78]

山口県

[編集]
  • 徳山店 → トポス徳山店(1970年(昭和45年)10月30日[79] - 1981年(昭和56年)[80]10月24日業態転換 - 2001年(平成13年)1月31日[81][82]徳山市常盤町2-34[83](現:周南市SC名称:徳山ショッパーズプラザ[84]
    延べ床面積約13,378m2[84]、店舗面積約5,153m2[84]
    1981年(昭和56年)にトポスに業態転換した[85]
  • 山口店×(1969年(昭和44年)10月17日[68][72] - 1998年(平成10年)6月30日[86]山口市道場門前町字道場門前1-1-18[57] SC名称:山口ショッパーズプラザ(旧SC名も同名を使用)
    敷地面積約2,162m2[68]、延べ床面積約5,934m2[27]
    映画館「鴻城館」跡に出店していた店舗で[87]、開業時には屋上遊園地が開設されていた[72]
    店舗跡は山口市取得して「どうもんビル」とし[88]、2001年(平成13年)3月16日に生活協同組合コープやまぐちどうもん店が開店[89]。2007年(平成19年)12月に2階建ての新しいビルのどうもんパークへ建て替えが行われて、1階にコープどうもん店が旧ビルから引き続き入居し、2階にはNHK文化センターと歯科医院、まちづくり会社の事務局が入居している[90]。「道場門前商店街振興組合」が建て替え、引き続きコープやまぐちがテナント入居する「どうもんパーク」が2007年(平成19年)末に開業した[91]
  • 宇部店×(1971年(昭和46年)11月27日[92] - 1985年(昭和60年)10月閉店[93]宇部市中央町2-1-1[6] (旧:宇部ショッパーズプラザ)
    敷地面積約2,527.57m2[94]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建て塔屋1階[94]、延べ床面積約13,136m2<[94]、店舗面積約3,070m<2<[94] → 約4,981m2[93]
    丸久宇部中央店(店舗面積約2,780m2)併設[2]
    (初代)丸久宇部店跡に建設されたショッピングセンターに出店していた[92]
    株式会社丸久が所有する建物に出店。食料品は丸久、衣料品・家具・家電はダイエーがそれぞれ担当する形で営業していた。[要出典]1996年(平成8年)8月31日のLet's09閉店を最後に建物は解体撤去、跡地はロードサイド店舗と平面駐車場。[独自研究?]
  • 下関店(1977年(昭和52年)10月21日[95][96] - 2010年(平成22年)9月20日[1]) 下関市竹崎町4-4-8[95] SC名称:シーモール下関[95]
    敷地面積約28,921m2[95]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上7階建て塔屋2階[95]、延べ床面積約128,370m2[95]、店舗面積約95,482m2[95](当社店舗面積約10,909m2[95])、駐車台数約1,100台[95]
    [[[下関大丸]](約21,585m2)と共に[95]シーモール下関開業以来の核テナントのひとつであったが[1]、売り上げの低迷で2010年(平成22年)賃借契約の更新を断念[97]、33年の歴史に幕を下ろした[1]。これにより、中国地方から全てのダイエー店舗が撤退した[1]。跡空間は専門店街の拡張に充てられるため、くまざわ書店は営業継続。2010年(平成22年)11月19日に跡地にはシーモールest(地下はサンリブ)が開業した[98]
  • ユニード下関店(1968年(昭和43年)9月18日[99] - 1981年(昭和56年)3月31日) 下関市南部町31-2[40]
    店舗面積約2,797m2[40]
    唐戸の地下1階・地上9階建てのニュー下関ビル内にショッピングセンター丸栄下関店として開店した[99]
    唐戸市場の前を通る国道9号線の向かいにあった。ユニードがダイエーグループに参入したのに合わせシーモールのダイエー店(後述)に統合された為閉店した。現在はサンリブ唐戸。[独自研究?]
  • ユニード岩国店(1968年(昭和43年)11月18日[100] - ?) 岩国市
    丸栄岩国店として開店した[100]


四国地区

[編集]

1964年(昭和39年)2月に四国ダイエーを設立し[101]、同年4月、大街道店(松山市)の開業と同時に四国地方へと進出した[102]。 1969年(昭和44年)8月にを吸収合併して直営化[101]

2005年(平成17年)11月30日の南松山店[103]、ショッパーズ高知店[104]の閉鎖で、四国地方から完全撤退となった[34]

徳島県

[編集]

香川県

[編集]
  • 高松店(1967年(昭和42年)3月21日[108][109] - 1997年(平成9年)) 高松市常磐町1丁目4-1[2]
    店舗面積約4,980m2[109] → 約8,999m2[27]
    常磐町1丁目のトキワ街に出店していた[110]
    屋島店の開店に伴い、総合スーパーからファッション専門店に業態変更し、1997年(平成9年)11月に高松OPAになった[111]
    経営は引き続きダイエー本社が行っていたが2001年(平成13年)8月末にビルオーナーの常磐興業(常磐興業)に移管[111][112]、2004年(平成16年)に閉店した[113]
    映画館「旧高松東映」が併設されており、OPAへの改装時に「セントラル高松1」と改称したが、2004年(平成16年)4月23日に閉館した[114]
    店舗跡の建物を利用して約2,000m2に和洋中の店舗が屋台村風に並ぶ「高松いろは市場」が[115][116]2012年(平成24年)5月3日に開業したが[117]、2013年(平成25年)8月末で閉鎖することになった[115][116]
    「高松いろは市場」跡の建物を利用して2015年(平成27年)2月28日と3月1日の2日間「トキワ・ロック・ジャム」が開催された[118]
  • ショッパーズモール屋島(1997年(平成9年)11月27日[119][120] - 2005年(平成17年)11月27日[121])高松市屋島西町[121]
    店舗面積20,466m2[84]、延べ床面積約31,902m2[84]
  • 屋島店(1997年(平成9年)11月27日[119] - 2005年(平成17年)11月27日[121])高松市屋島西町[121]
    店舗面積8,054m2[76]
    ダイエー初のモール型ショッピングセンターとして開業した[119][120]売り場面積20,446m2のショッピングセンターの核店舗のバンドール屋島店と並ぶ1つとして[122]1997年(平成9年)11月27日に開業し[119]、バンドール屋島店閉店に伴う改装で2001年(平成13年)3月15日に改装してバンドールで販売していた家具や玩具などの売り場新設や日用品や食料品を88円で販売するコーナーの品目数を2倍に拡充するなどの改装を行ってバンドール跡に導入した専門店との相乗効果で業績改善を目指したが[123]、2001年(平成13年)2月期に約31.43億円だった売上高が2005年(平成17年)2月期に前期比21.5%減の約20.62億円へ落ち込んで早期の黒字化は困難として[106]開業8年目の記念日に当たる2005年(平成17年)11月27日に閉店した[121]
  • バンドール屋島店(1997年(平成9年)11月27日[119] - 2001年(平成13年)2月25日[124]) 高松市
    • ショッパーズモール屋島の核店舗の1つとして1997年(平成9年)11月27日に開業した[119]家電・パソコンや衣料品、スポーツ用品など扱うディスカウントストアであったが[125]、各分野の専門店との競合が激化したため業績は当初予想を下回り[124]、今後も苦戦を強いられるとして[125]、業績の振るわない直営売り場を見直して集客力の高い他社専門店をテナントとして導入して収益と集客力を同時に改善する方針の一環として2001年(平成13年)2月25日に閉店した[124]
    バンドールの店舗跡に売り場面積約6,000m2のヤマダ電機テックランド屋島店や売り場面積約1,000m2のユニクロ[123]、そして靴小売店「シューズワールド」の3店が2001年(平成13年)3月23日に開店した[123]が、2005年(平成17年)11月27日にショッパーズモール屋島としては閉店し[106]ヤマダ電機も2006年(平成18年)2月25日に閉店した(ヤマダ電機のみ、法人営業部を持っていた関係で代替店舗である高松春日本店の開業まで退去が猶予されていた。他のテナントはダイエーと同時に閉店)[要出典]
    2007年(平成19年)4月19日に地元ホームセンターの西村ジョイ屋島店が開店した[126](売り場面積20,321m2[127])。
  • 坂出店 → ハイパーマート坂出店×(1993年(平成5年)11月25日[128] - 2004年(平成16年)3月6日[129]坂出市入船町
    敷地面積47,000m2で店舗面積16,400m2のワンフロアの店舗で当初は直営店として初年度売上高目標を80億円としていた[130]が、1994年(平成6年)度で売上高約73億円とその目標が達成出来なかったところに競合店の進出が相次いで低迷し[131]、1999年(平成11年)8月1日に株式会社ダイエー・ハイパーマートに移管された[77]
    株式会社ディー・ハイパーマートに移管されないまま2000年(平成12年)9月30日に閉店[132]
    その後、ダイエー坂出店として営業を行ったが、2004年(平成16年)3月6日に閉店[129]
    その後建物を解体し、更地状態が長く続いたが、跡地を利用して2005年(平成17年)6月2日に「コメリホームセンター坂出店」とディスカウントスーパー「ラ・ムー坂出店(大黒天物産)」やなどが開業し、翌月に「ベスト電器坂出店(現:ヤマダ電機 テックランド坂出店)」が開店して新たなショッピングセンターが全館開業した[133]
  • 丸亀店(1979年(昭和54年)11月30日[134] - 1998年(平成10年)11月[135][136]20日) 丸亀市大手町3-10-20[137] SC名称:丸亀琴参ショッピングセンター[137]
    琴参商事株式会社が所有する建物に出店。売場面積約9,510m2[27][138]
    店舗跡の地下1階、地上5階のうち地下1階から地上3階まで2000年(平成12年)5月12日に琴平参宮電鉄が経営する琴参ショッピングプラザ「カーニバル」が開業したが、集客力のあるテナント招致に失敗したことなどから売上が目標の35億円に対し約10億円と大幅に下回ったことから約1.8億円の赤字となり、2001年(平成13年)8月までに閉店することになった[136]
    その後、アイゼンとなったが、2013年(平成25年)4月時点では空き店舗となっていたが[137]同年8月2日にドン・キホーテやアイゼンが入居する複合施設、「丸亀ナナイロ」が開業した[要出典]
  • ハイパーマート丸亀南店 → ディー・ハイパーマート丸亀南店[75]×(1995年(平成7年)4月[138] - 2002年(平成14年)8月29日[139][140]) 丸亀市中府町1丁目[139]
    店舗面積約10,000m2[13]
    当初は直営であったが、1999年(平成11年)8月1日に株式会社ダイエー・ハイパーマートに[77]、さらに2000年(平成12年)9月1日に株式会社ディー・ハイパーマートに移管された[75]
    閉店後、改装を経て店舗跡にフジが出店し、2003年(平成15年)4月4日に「フジグラン丸亀中府」となった[141]が43億円を見込んでいた売上高が[142]2003年度(平成15年度)で約32億円と下回った上その後も減少が続いて2007年度(平成19年度)には約24.6億円と最後まで売り上げの低迷が続き、2008年(平成20年)10月31日に閉店した[143]
    この撤退により賃貸収入年間約1.9億円を失ったことにより建物所有者の琴平参宮電鉄の解体につながった[144]。2009年に建物が解体されて一度更地とした後[145]、2010年(平成22年)2月に食品スーパーのハローズ丸亀中府店が開店[146]した。
  • 観音寺ショッパーズプラザ( - 1989年(平成元年)) 観音寺市観音寺町
    1965年(昭和40年)6月3日に加ト吉が運営する「ショッピングセンターママ」として開店[147]。1973年(昭和48年)5月25日に「観音寺ショッパーズプラザ」になる[148]
    その後はマルナカ系列の「ラック」が一部階層のテナントとして、運営するも短期間のうちに撤退[要出典]
    2010年(平成22年)2月、解体更地[要出典]

愛媛県

[編集]
  • (初代)松山店[149] → 大街道店(1964年(昭和39年)4月18日[149][150] - 1975年(昭和50年)10月[2]30日)松山市大街道二丁目14-3[151]
    店舗面積1,092m2[152]
    四国1号店として、ダイエーが55%で地元側が45%出資して設立した四国ダイエーが、松山松竹跡に出店した[150]ダイエーとしては3番目の閉鎖店舗。[要出典]
    コーノと合弁で[153]1976年(昭和51年)1月24日に「株式会社ダック松山」設立し[154]、同年3月27日に店舗跡に同社1号店を開店した[153]
    後に「株式会社ショッパーズエイシン」と合併(1999年(平成11年)閉店)[要出典]
  • 千舟町店 → (2代目)松山店×(旧:千舟ショッパーズプラザ[155]、1970年(昭和45年)12月4日[155] - 1998年(平成10年)12月;[76]31日) 松山市千舟町4-4[83] SC名称:(旧:千舟ショッパーズプラザ)
    敷地面積約1,987m2[155]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上8階塔屋2階[156]、延べ床面積15,822.1m2[156]、店舗面積9,127m2[152]
    建物は解体され、跡地はマンションになっている[要出典]
ジョー・プラ(旧:南松山店)
  • 南松山店(1979年(昭和54年)11月2日[157] - 2005年(平成17年)11月30日[103]) 松山市朝生田町5-1-25[16] SC名称:南松山ショッパーズプラザ[16]
    店舗面積16,669m2[16]、延べ床面積約43,800m2[16]
    株式会社トーエイが所有する建物に出店[16]
    現在は、ジョー・プラママイダイソーデオデオ他)となっている[要出典]
  • 新居浜店(旧:南海百貨店経営のFC店[83]、1971年(昭和46年)9月[83] - 1999年(平成11年)5月31日[158]新居浜市若水町2-6-5[83]
    直営店舗面積約7,165m2の店舗であった[158]
    1970年(昭和45年)6月に南海百貨店とフランチャイズ契約に調印[159]
    閉店後、店舗跡にマルナカが出店し、2000年にマルナカ若水店として再開業[160]。ダイエー時代は4階まで売場があったが、マルナカ時代は開業当初から売場を2階部分までに縮小させて営業していた。だが築年数の経過により建物の老朽化が進んだことから、2016年に一旦閉店・解体及び平屋建て店舗へと建て替え、2018年12月1日にマルナカ若水店(2代目)として再オープン[161]した。
  • ハイパーマート西条店 → ディー・ハイパーマート西条店[75](? - 2002年(平成14年)6月4日[要出典]西条市
    当初は直営であったが、1999年(平成11年)8月1日に株式会社ダイエー・ハイパーマートに[77]、さらに2000年(平成12年)9月1日に株式会社ディー・ハイパーマートに移管された[75]。閉店後、地元企業のフジが店舗跡に出店し、2002年(平成14年)9月28日にフジグラン西条として再開業を果たした[162]
  • T・ナンカイ店×(旧:南海、1959年(昭和34年)9月[163] - 1992年(平成4年)3月直営化[3] - 1999年(平成11年)5月31日[158])西条市大町新町1727-1[164]
    1977年(昭和52年)に増床して店舗面積2,053m2となった[163]
    ディスカウントストア業態の店舗として運営された[163]店舗ロゴもトポスと同様式のものを使用していた[要出典]

高知県

[編集]
  • ショッパーズ高知店[104]×(ショッパーズプラザコーチとして1970年(昭和45年)4月18日開店[165]、1979年(昭和54年)11月1日[166] - 1991年(平成3年)9月1日直営化[167] - 2005年(平成17年)11月30日[168][104]) 高知市帯屋町2-2-5[166] SC名称:ショッパーズプラザコーチ[166]
    敷地面積約3,823m2[166]、鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建て[166]、延べ床面積約16,728m2[166]、店舗面積約9,422m2[166](当社店舗面積約5,806m2[166])、駐車台数約303台[166]

店舗面積10,385m2[16]、延べ床面積約16,598m2[16]

  • 直営店舗面積約6,437m2[36]
    高知スーパーマーケットが運営していたショッパーズプラザコーチを、ダイエーの全面支援の下、百貨店風に仕上げた地下1階・地上5階建ての大型店舗。県内で唯一、食料品・衣料品・家電製品のフルラインのワンストップSCの機能を持っていた。運営はSC名称と同名のショッパーズプラザコーチ[169]
    その後は、ダイエー直営店となる。本来は「高知店」を名乗る筈であったが、せっかく親しまれた「ショッパーズ」の名称が無くなってしまう為、粋な計らいで残したという[169][167]
    閉店後は就職情報センターじょぶカフェなどが入居したが、その後、建物を解体し、2009年(平成21年)6月3日に一部がコインパーキングとなった[170]。2012年(平成24年)5月に跡地の西側部分の3,064m2に地権者を事業主として商業施設と賃貸マンションの複合施設を建設することになり[171]、2015年(平成27年)7月31日に完成し[172]、8月8日に「帯屋町CENTROチェントロ」として開業した[173]また、残るアーケード入り口側には、よさこい衣装や舞台衣装を取り扱う「ほにや本店(1Fにはファミリーマートも入居)」が営業している。[独自研究?]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e “ダイエー下関店、30年余の歴史に幕 買い物客ら拍手”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2010年9月21日)
  2. ^ a b c d e 『流通会社年鑑 1978年版』 日本経済新聞社、1977年10月25日。
  3. ^ a b c d 『流通会社年鑑 1997年版』 日本経済新聞社、1996年12月4日。
  4. ^ 『激動の世代"昭和"グラフと写真で綴る64年間の軌跡』 山陰の経済 1989年2月号 (山陰経済経営研究所) (1989年2月)。pp39
  5. ^ “きょう限りで閉店 家電など次々品切れ トポス鳥取店”. 朝日新聞. 朝日新聞社. (1998年11月30日) 
  6. ^ a b c d e 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1978年10月20日。 pp114
  7. ^ a b c 『全国取材 大型店対策を現地に探る』 誠文堂新光社、1978年9月22日。 pp306
  8. ^ 『全国取材 大型店対策を現地に探る』 誠文堂新光社、1978年9月22日。 pp307
  9. ^ “ストアニュース”. 総合食品 1989年10月号 (総合食品研究所) (1989年10月).pp79
  10. ^ 『経済日誌』 山陰の経済 1990年1月号 (食糧問題研究所) (1990年1月)。pp55
  11. ^ 『鳥取市誌 4』 鳥取市、2003.3。
  12. ^ “ダイエー鳥取駅南店2月28日に閉店!”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年3月12日)
  13. ^ a b 『流通会社年鑑 1998年版』 日本経済新聞社、1997年12月2日。
  14. ^ “10日間 JR鳥取駅南地区:5日目 市役所駅南庁舎、元はダイエー” 朝日新聞 (朝日新聞社). (2014年11月1日)
  15. ^ 中心市街地の空きビル活用及びリニューアル事例調査 報告書 平成24年3月 (Report). 国土交通省都市局. (2012年3月4日)
  16. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2006年版』 東洋経済新報社、2006年。
  17. ^ 『山陰地方におけるサービス化の進展(4)消費環境の変化と小売業の新展開』 山陰の経済 1989年9月号 (山陰経済経営研究所) (1989年9月)。pp44
  18. ^ "14店舗きょう閉鎖/ダイエー 水戸店など". 東京新聞 (中日新聞社). (2005年10月31日)
  19. ^ a b “ダイエー倉吉サンピア店閉店 地域経済に大きな影響”. 日本海新聞 (新日本海新聞社). (2005年12月17日)
  20. ^ a b c d e f g 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1383
  21. ^ a b c 『商業界二十年 日本商業20年譜 1948-1967』 商業界、1967年。pp194
  22. ^ 佐野真一 “中内功「復活の日」で始まったダイエーの"文化大革命"”. 週刊文春 1980年6月5日号 (文藝春秋) (1980年6月5日).pp138-148
  23. ^ 吉田貞雄 『中内功の言葉のカンヅメ 永久革命をめざす 信念・人づくり・仕事・人使い』 中経出版、1989年2月。ISBN 978-4806103677
  24. ^ a b c 堀田真康 『ダイエー 燃える流通革命軍団』 朝日ソノラマ、1981年7月。ISBN 978-4257060871
  25. ^ a b c d “98年以降8店を閉鎖 ダイエー”. 中国新聞 (中国新聞社). (2005年2月12日)
  26. ^ a b c 『山陽年鑑 1982年版』 山陽新聞社、1981年11月1日。pp469
  27. ^ a b c d e 『流通会社年鑑 1990年版』 日本経済新聞社、1990年11月24日。
  28. ^ 『商業界二十年 日本商業20年譜 1948-1967』 商業界、1967年。pp211
  29. ^ 日経新聞1981年縮刷版8月号
  30. ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1967年版』 商業界、1967年。pp131
  31. ^ a b c d e “岡山OPA9月閉店 競争激化、売り上げ低迷”. 山陽新聞(山陽新聞社). (2014年6月25日)
  32. ^ 麻生国男 “スーパー、ビルドからスクラップの時代”. 月刊消費者信用 1984年12月号 (金融財政事情研究会) (1984年12月).pp61
  33. ^ a b 岡山県史編纂委員会 『岡山県史 第14巻 現代2』 岡山県、1990年3月31日。 pp664
  34. ^ a b "ダイエー、14店舗閉鎖 リストラほぼ完了". 産経新聞 (産経新聞社). (2005年11月30日)
  35. ^ a b “ダイエー岡山店跡に天満屋ストア”. 中国新聞 (中国新聞社). (2005年12月29日)
  36. ^ a b 『流通会社年鑑 2001年版』 日本経済新聞社、2000年12月11日。
  37. ^ “ハピーズ岡山駅前店 三月十七日開店 岡山県岡山市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2006年5月8日)
  38. ^ 岡山県史編纂委員会 『岡山県史 第17巻 年表』 岡山県、1991年。
  39. ^ a b 『山陽年鑑 1982年版』 山陽新聞社、1981年11月1日。pp124
  40. ^ a b c d e 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1977年10月25日。
  41. ^ “1ケタ成長,地方スーパー健闘-「小売業調査」より”. 生協運営資料 1982年8月号 (日本生活協同組合連合会) (1982年8月).pp108-109
  42. ^ “ユニード、18日に岡山で2店目の岡南店開店。”. 日本経済新聞. 日本経済新聞社. (1976年11月13日) 
  43. ^ 平野久止 『ユニードは何故ダイエーに敗れたか ダイエーの九州戦略を見つめる』 葦書房、1989年7月28日。ISBN 978-4751201572
  44. ^ a b 『山陽年鑑 昭和46年版』 山陽新聞社、1970年10月1日。pp118
  45. ^ “ダイエー倉敷店5月末閉店と決まる 岡山県倉敷市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年3月28日)
  46. ^ a b c 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。pp599
  47. ^ a b c “新しくできたショッピングセンター2点”. 建築と社会 1970年10月号 (日本建築協会) (1970年10月1日).pp15
  48. ^ 金谷明彦 (2005年2月12日). “ダイエー「撤退方針」、地元を痛撃 中国地方”. 中国新聞 (中国新聞社)
  49. ^ “山陽マルナカがダイエー倉敷店跡地を買収して年内にもオープンへ 岡山県倉敷市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年11月14日)
  50. ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1432
  51. ^ a b “ショッパーズエイシンが出店 コアプランニングが運営するSC「久世ロマンチックタウンアルティ」に1993年(平成5年)12月3日オープン”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (1993年12月3日) 地域経済 中国B 35面
  52. ^ a b c d e 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2008年版』 東洋経済新報社、2008年。
  53. ^ “久世店(真庭)来月末で閉店 天満屋ストア 競合激化し売上高減”. 山陽新聞. 山陽新聞社. (2009年1月8日) 
  54. ^ a b 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp140
  55. ^ 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年。
  56. ^ a b 岡田浩一 (2005年10月21日). “ダイエー広島店、米投資会社へ譲渡 ユアーズ核に誘致”. 中国新聞 (中国新聞社)
  57. ^ a b c 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1978年10月20日。 pp113
  58. ^ “ダイエー広島店、米ファンドに 閉鎖店の売却第1号”. 日経MJ (日本経済新聞社). (2005年10月24日)
  59. ^ 2007年度(平成19年度)調査研究レポート 広島県における小売業の活性化 (Report). 広島経済同友会 地域経済委員会. (2008年3月)
  60. ^ a b c 山本洋子 (2006年1月26日). “ダイエー広島店跡にユアーズ開店”. 中国新聞 (中国新聞社)
  61. ^ “デオデオ玩具店、ダイエー跡地に2月オープン”. 中国新聞 (中国新聞社). (2006年1月21日)
  62. ^ “袋町の旧ダイエー店舗解体へ”. 中国新聞(中国新聞社). (2008年9月10日)
  63. ^ 『流通会社年鑑 1976年版』 日本経済新聞社、1975年11月13日。 pp93
  64. ^ “閉鎖予定4店舗も営業譲渡・売却急ぐ ダイエー”. 中国新聞 (中国新聞社). (2005年10月21日)
  65. ^ a b "ダイエー、9店舗を追加閉鎖". 建設通信新聞 (日刊建設通信新聞社). (2005年9月28日)
  66. ^ a b 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp150
  67. ^ 船井幸雄 『80年代繁栄の戦略 日本型流通業の知恵』 日本経済新聞出版社、1980年7月21日。ISBN 978-4532083311
  68. ^ a b c d e 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。pp600
  69. ^ a b c d 玉川貢広(2005年11月2日). “ダイエーショック福山店閉店の波紋(上)/核失い募る危機感 跡地活用で中心部再生を”. 山陽新聞(山陽新聞社)
  70. ^ 松尾俊二 (2006年9月23日). “JR福山駅前・キャスパ 食品スーパーの「フレスタ」出店”. 朝日新聞 (朝日新聞社)
  71. ^ a b c 福山市史編纂会 『福山市史 下』 福山市、1978年7月1日。 pp1201
  72. ^ a b c 中田信哉“建設さかんな関西のショッピングセンター 茨木ショッパーズプラザと百舌ショッピングセンター”. 流通情報 1969年10月号 (流通経済研究所) (1969年10月).pp16
  73. ^ 阿部孝司 “大型店の新展開と中小小売業”. 中小企業 1989年9月号 (全国中小企業団体連合会) (1989年8月).pp17
  74. ^ a b c d 木原慎二、中島大 (2006年4月25日). “新びんご圏 駅前はいま<1>福山駅前(上)ダイエー閉店の意味 危機共有再生へ議論”. 中国新聞 (中国新聞社)
  75. ^ a b c d e f ハイパーマートの再編について (Report). ダイエー. (2000年7月21日)
  76. ^ a b c 週刊ストアジャパン電子版 「会員ページ"」のサンプル チェーンストア2000年度店舗別売上高と坪効率”. ストアジャパン社. 2014年4月19日閲覧。
  77. ^ a b c d ハイパーマートの再編について (Report). ダイエー. (1999年7月7日)
  78. ^ “イズミ「ゆめタウン学園店」10月25日(金)オープン 広島県東広島市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年11月11日)
  79. ^ 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年6月15日。 pp32
  80. ^ 『徳山市史 下巻』 徳山市、1985年3月。
  81. ^ “ダイエー、赤字6店舗を閉鎖”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2000年12月22日) . pp3
  82. ^ “ダイエートポス徳山店今月末で閉店 山口県徳山市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年1月15日)
  83. ^ a b c d e 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。
  84. ^ a b c d e 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2000年版』 東洋経済新報社、2000年。
  85. ^ 『徳山市史 下』 徳山市、1985年3月30日。 pp635
  86. ^ 『山口銀行史 資料編』 山口銀行、1999年6月20日。
  87. ^ 高橋文雄 『山口市町名覚え書』 東洋図書出版,、1981年8月31日。 pp179
  88. ^ “JR山口駅横市有地 売却を 30日間延期” 山口新聞 (みなと山口合同新聞社). (2008年9月18日)
  89. ^ “ダイエー山口店跡に3月16日コープ山口がどうもん店開設”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年4月9日)
  90. ^ 是川晴彦 (2007年10月). “山口市中心市街地の実態と活性化政策”. 山形大学紀要(社会科学) 第40巻 第1号. P79-94. (山形大学)
  91. ^ “駐車場屋上で堆肥菜園 山口の商店街振興組合” 山口新聞 (みなと山口合同新聞社). (2008年5月6日)
  92. ^ a b 『防長年鑑 昭和48年版』 防長新聞社、1972年12月31日。pp6
  93. ^ a b “大店法の規制緩和と大手スーパーの動向”. 日本債券信用銀行調査時報 No.111 (日本債券信用銀行) (1991年3月).pp18
  94. ^ a b c d 『ショッピングセンター名鑑 1979年版』 日本ショッピングセンター協会、1979年11月20日。pp884
  95. ^ a b c d e f g h i j 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1504
  96. ^ 下関大丸五十年史編集委員『下関大丸五十年史』 下関大丸、2001年2月
  97. ^ “ダイエー下関、今秋撤退 専門店化を計画”. 山口新聞 (みなと山口合同新聞社). (2010年3月20日)
  98. ^ “シーモールestオープン ダイエー下関店跡”. 山口新聞 (みなと山口合同新聞社). (2010年11月20日)
  99. ^ a b 下関市市史編修委員会 『下関市史 終戦-現在』 下関市、1989年3月。
  100. ^ a b 『岩国商工会議所五十年史』 岩国商工会議所、1998年。
  101. ^ a b 『流通会社年鑑 2003年版』 日本経済新聞社、2002年12月20日。
  102. ^ 若林照光 『現代の商人学 中内功の研究』 プレジデント社、1981年1月。ISBN 978-4833411509
  103. ^ a b “ダイエー南松山閉鎖へ”. 愛媛新聞 (愛媛新聞社). (2005年9月30日)
  104. ^ a b c “ダイエー高知店 11月末撤退「黒字化見込めず」”. 高知新聞 (高知新聞社). (2005年9月16日)
  105. ^ a b 『徳島年鑑 1976年版』 徳島新聞社、1976年6月30日。pp485
  106. ^ a b c “ダイエー屋島店、11月27日に営業終了”. 四国新聞 (四国新聞社). (2005年9月27日)
  107. ^ 『全国取材 大型店対策を現地に探る』 誠文堂新光社、1978年9月22日。 pp347
  108. ^ 『商業界二十年 日本商業20年譜 1948-1967』 商業界、1967年。pp224
  109. ^ a b 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp172
  110. ^ “周辺住民、惜別の声-ダイエー撤退”. 四国新聞(四国新聞社).(2005年9月27日)
  111. ^ a b “高松OPAの営業譲渡-ダイエー”. 四国新聞(四国新聞社).(2001年7月5日)
  112. ^ “ダイエー、高松OPAを今夏八月末で撤退して営業権は譲渡”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年7月30日)
  113. ^ “高松OPA跡地に“屋台村”/5月3日オープン”. 四国新聞(四国新聞社).(2012年4月4日)
  114. ^ “高松OPA跡地に“セントラル高松、観客減で来月閉館”. 四国新聞(四国新聞社).(2004年3月4日)
  115. ^ a b “高松いろは市場8月末閉鎖へ/開店から1年余”. 四国新聞(四国新聞社).(2013年7月26日)
  116. ^ a b “高松・いろは市場、来月末閉鎖”. 読売新聞(読売新聞社). (2013年7月28日)
  117. ^ “「いろは市場」オープン/高松・トキワ街”. 四国新聞(四国新聞社).(2012年5月4日)
  118. ^ “高松・トキワ街にロックミュージシャンが集結”. 四国新聞(四国新聞社).(2015年3月1日)
  119. ^ a b c d e f “近畿・中・四国版 大型店が4店開業、地域間競争激化の様相”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年11月19日)
  120. ^ a b 「日本のSC――ショッパーズモール屋島(香川県高松市/解説60)」『ショッピングセンター』第295号、日本ショッピングセンター協会、1998年5月1日、8 - 9、60 - 63、NDLJP:2838267/5NDLJP:2838267/31 
  121. ^ a b c d e “ダイエー屋島店が閉店-県内の全店舗撤退”. 四国新聞 (四国新聞社). (2005年11月28日)
  122. ^ “ダイエー、ショッパーズモール屋島を全館改装”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年3月16日)
  123. ^ a b c “ヤマダ電機など3店オープン”. 四国新聞 (四国新聞社). (2001年3月23日)
  124. ^ a b c “バンドール跡に3店舗が出店へ”. 四国新聞 (四国新聞社). (2001年2月5日)
  125. ^ a b “ダイエーが屋島店に外部専門店を導入”. 四国新聞 (四国新聞社). (2001年1月16日)
  126. ^ “「ダイエー屋島店」跡に「西村ジョイ屋島店」4月19日オープン 香川県高松市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2007年6月4日)
  127. ^ “西村ジョイ、ダイエー屋島店跡に出店”. 四国新聞 (四国新聞社). (2006年11月1日)
  128. ^ “ダイエー・中内潤副社長、ハイパーマートを「ディスカウントは仕入れ努力の結果」と評価”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年12月6日)
  129. ^ a b “ダイエー坂出店 3月6日閉店 香川県坂出市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2004年6月14日)
  130. ^ “ダイエー、四国初のハイパーマート「ダイエー坂出店」を25日にオープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1993年11月10日)
  131. ^ “坂出・ダイエー跡地に複合商業施設建設へ”. 四国新聞 (四国新聞社). (2004年11月5日)
  132. ^ “ハイパー坂出店が閉店 商圏の地盤沈下を懸念”. 四国新聞(四国新聞社).(2000年10月1日)
  133. ^ “コメリ、ハイパーマート跡地に出店”. 四国新聞 (四国新聞社). (2005年6月2日)
  134. ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1981年版』商業界、1980年12月5日、857頁。 
  135. ^ 小川雄三 『高松市民の買物行動』 岡山経済 1999年12月号 (岡山経済研究所) (1999年12月5日)。pp27
  136. ^ a b “丸亀の琴参カーニバル閉店へ”. 四国新聞(四国新聞社).(2001年3月9日)
  137. ^ a b c “丸亀中心市街地にドン・キホーテが出店か?”. かがわ経済レポート (香川経済レポート社). (2013年4月25日)
  138. ^ a b “ダイエー、丸亀市に第2号店「中府店」(仮称)を出店へ、7年4月1日営業”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年10月5日)
  139. ^ a b “ハイパー形式店舗消滅へ-ダイエー”. 四国新聞(四国新聞社).(2002年7月23日)
  140. ^ “ダイエー丸亀南店8月29日で閉鎖 香川県丸亀市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年7月29日)
  141. ^ “「フジグラン丸亀中府」4月4日開店”. 四国新聞 (四国新聞社). (2003年4月5日)
  142. ^ “「フジグラン丸亀中府」4月4日開店”. 四国新聞 (四国新聞社). (2003年3月24日)
  143. ^ “フジグラン丸亀中府 10月末に閉店”. 四国新聞 (四国新聞社). (2008年6月10日)
  144. ^ “琴参バス、大川バスに事業譲渡/路線は現状維持”. 四国新聞 (四国新聞社). (2008年12月11日)
  145. ^ “ハローズ丸亀中府モール新築へ 解体作業終える”. 建通新聞 (建通新聞社). (2009年10月2日)
  146. ^ “ハローズが丸亀出店へ/来年2月に開店”. 四国新聞 (四国新聞社). (2009年7月17日)
  147. ^ 商業界編集部 編『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』商業界、1965年12月25日、245頁。 
  148. ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1985年版』商業界、1984年12月10日、1003頁。 
  149. ^ a b 『商業界二十年 日本商業20年譜 1948-1967』 商業界、1967年。pp189
  150. ^ a b 『愛媛年鑑 昭和50年版』 愛媛新聞社、1975年。pp91
  151. ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp279
  152. ^ a b 愛媛県史編さん委員会編 『愛媛県史 地誌2(中予)』 愛媛県、1984年3月
  153. ^ a b 『食糧年鑑 1977年版 本編』 日本食糧新聞社、1977年8月。pp5
  154. ^ 『ボックス・ストアの登場と今後の展望』 商工金融 第30巻 第3号 (商工総合研究所) (1980年3月1日)。pp45
  155. ^ a b c 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。pp601
  156. ^ a b 『作品月報 会員作品'70.8~'71.7』 ひろば 通巻87号 (近畿建築士会協議会) (1971年7月15日)。pp54
  157. ^ “地方経済動向”. 月刊経済 1979年12月号 (月刊経済社) (1979年12月).pp92
  158. ^ a b c “ダイエーが経営再建で不採算店7店閉鎖へ”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1999年4月14日)
  159. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表-3-』 長崎県立国際経済大学論集 18号(3/4) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1985年3月)。pp152
  160. ^ “(株)マルナカがダイエー新居浜店跡に進出し来春四月オープン 愛媛県新居浜市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (1999年12月27日)
  161. ^ マルナカ公式 インフォメーション(2018年分)
  162. ^ “(株)フジがダイエーハイパー西条店跡に9月28日フジグランをオープン 愛媛県西条市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年9月26日)
  163. ^ a b c 愛媛県史編さん委員会 『愛媛県史地誌II 東予東部』 愛媛県、1988年2月29日。
  164. ^ 『日本金融名鑑 1985年版 特別資料編』 日本金融通信社、1984年10月25日。pp183
  165. ^ “特集 スーパー業界・再編成の嵐”. 新日本経済 1970年6月号 (新日本経済社) (1970年6月1日).pp14
  166. ^ a b c d e f g h i 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1547
  167. ^ a b “ダイエーショッパーズ高知店店長 前田輝男氏 店の名前に一工夫(こだま)”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 四国 12. (1991年9月4日)
  168. ^ "ダイエー、山形店・奈良店など6店を11月に追加閉鎖". 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2005年9月15日)
  169. ^ a b “ショッパーズプラザコーチ ダイエー 秋に直営化”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 四国 12. (1991年4月2日)
  170. ^ “ダイエー跡 駐車場開業”. 高知新聞 (高知新聞社). (2009年6月4日)
  171. ^ “高知市中心街のダイエー跡地に複合施設 15年春に”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2012年5月22日)
  172. ^ “高知市に帯屋町チェントロ完成 ダイエー閉店から10年”. 高知新聞(高知新聞社). (2015年8月1日)
  173. ^ “帯屋町に14階複合施設開業 ダイエー閉店から10年、新たなにぎわいの拠点期待”. 朝日新聞(朝日新聞社). (2015年8月10日)

外部リンク

[編集]