遠藤吉三郎
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遠藤 吉三郎(えんどう きちさぶろう、1874年8月30日 - 1921年3月14日)は、日本の生物海洋学者。日本の海藻研究の大家。
略年譜
[編集]- 1874年8月:実業家遠藤吉平の三男として、新潟県北蒲原郡中条町(現在の胎内市)に生まれる[2]。
- 1877年:北海道函館市に移住。
- 1891年:北海道函館商業学校(現在の北海道函館商業高等学校)卒業、北海道炭礦鉄道に入社。
- 1896年:第二高等学校予科に入学。
- 1898年:東京帝国大学理科大学に入学。
- 1900年:結婚。
- 1901年:東京帝国大学大学院に入学、松村任三の指導を受ける。
- 1902年:米国産サンゴモの新種を発表。
- 1903年:「磯焼け」を報告。
- 1907年:札幌農学校水産学科の初代教授に就任。
- 1911年:噴火湾の赤潮を報告。欧州留学。
- 1918年:北海道帝国大学水産専門部(現在の北海道大学水産学部)教授に就任。
- 1921年:肺結核のため転地療養中の仙台市で死去[3]。
海藻寫眞帖
[編集]遠藤が1911年から1914年にイギリス、ドイツ、ノルウェーへ留学した際の写真により、1928年に水産講習所(現在の東京海洋大学)によって『海藻寫眞帖』が作成された[4]。
2014年、和歌山県白浜町の京都大学瀬戸臨海実験所(京大白浜水族館)で『海藻寫眞帖』の原版となる遠藤が撮影した藻類の写真のガラス乾板約170枚が発見された[4]。
スキーの普及
[編集]欧州留学時に、2本杖を使うノルウェー式スキー術を習得。1916年に帰国した際に、生徒にスキー術を伝えたことから、札幌では2本杖のノルウェー式が一般的となった。後に1923年に開催された第一回全日本スキー選手権大会では、レルヒが新潟に伝えていた1本杖スキーを圧倒。札幌のみならず日本の主流となった[5]。木原均とともに「最新スキー術」という著書を出した。
磯焼け
[編集]岡村金太郎とともに日本の海藻学の先駆けとなる研究者であり、伊豆半島の海藻研究から、現地で用いられていた「磯焼け」という用語を用いて定着させた。
出典
[編集]- ^ “遠藤吉三郎生誕140周年”. 2020年5月11日閲覧。
- ^ 人事興信所編『人事興信録』第4版、1915年、え13頁。
- ^ 遠藤吉三郎kotobank記事
- ^ a b “100年前の海藻写真乾板を発見 海藻学研究者の遠藤氏撮影”. 紀伊民報. (2014年8月5日) 2014年8月5日閲覧。
- ^ 海野弘『スキーはやっぱり・・・』写楽1984年3月号p149