酒井忠宜
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元文5年(1740年) |
死没 | 宝暦11年7月2日(1761年8月2日) |
官位 | 従四位下阿波守 |
藩 | 播磨姫路藩世嗣 |
氏族 | 酒井氏(雅楽頭家) |
父母 | 酒井忠恭、榊原政邦娘・考 |
兄弟 |
忠仰、忠得、忠宜、忠温、忠啓、忠交、 忠補、米姫、井伊直禔正室、清光院、 酒井忠節正室、本多忠奝正室、タキ、軽子 |
妻 | 前田吉徳七女・暢姫 |
酒井 忠宜(さかい ただよし)は、江戸時代中期の播磨国姫路藩の世嗣。官位は従四位下・阿波守。
略歴
[編集]姫路初代藩主・酒井忠恭の三男として誕生。母は榊原政邦の娘・考(孝子)。正室は前田吉徳の七女・暢姫。
忠恭が上野国前橋藩主だった時代に生まれる。宝暦5年(1755年)、忠恭の嫡子だった兄・忠得が早世したため、代わって嫡子となる。同年徳川家重に御目見し、従四位下阿波守に叙任されたが、忠得と同様に家督を継ぐことなく宝暦11年(1761年)に22歳で死去した。
代わって、庶兄・忠仰が嫡子となった。