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酒井忠得

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
酒井忠得
時代 江戸時代中期
生誕 元文3年(1738年
死没 宝暦5年2月19日1755年3月31日
官位 従四位下河内守
上野前橋藩世嗣、播磨姫路藩世嗣
氏族 酒井氏(雅楽頭家)
父母 酒井忠恭榊原政邦娘・考
兄弟 忠仰忠得忠宜忠温忠啓忠交
忠補、米姫、井伊直禔正室、清光院、
酒井忠節正室、本多忠奝正室、タキ、軽子
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酒井 忠得(さかい ただえ)は、江戸時代中期の上野国前橋藩(のち播磨国姫路藩)の世嗣。官位従四位下河内守

略歴

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前橋藩9代藩主(のち姫路初代藩主)・酒井忠恭の次男として誕生。母は榊原政邦の娘・考(孝子)。

当時上野国前橋藩主だった忠恭の嫡子として生まれ、延享4年(1747年)に徳川家重御目見する。宝暦2年(1752年)には叙任されたが、家督を継ぐことなく宝暦5年(1755年)に18歳で早世した。

代わって、弟・忠宜が嫡子となった。