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酒井忠交

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
酒井忠交
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦4年2月22日1754年3月15日
死没 享和4年1月20日1804年3月1日
改名 盛之助(幼名)、忠交
別名 左京(通称
墓所 東京都台東区浅草の崇福寺
官位 従五位下左近将監縫殿頭
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治家斉
播磨姫路新田藩
氏族 酒井氏(雅楽頭家分家)
父母 父:酒井忠恭、母:北原氏
兄弟 忠仰忠得忠宜忠温忠啓忠交忠補、米姫、井伊直禔正室、清光院、酒井忠節正室、本多忠奝正室、タキ、軽子ら
正室:阿部正允の娘・禎祥院
忠質
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酒井 忠交(さかい ただかた)は、播磨国姫路新田藩の初代藩主。

略歴

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宝暦4年(1754年)2月22日、酒井家姫路藩の初代藩主・酒井忠恭の八男として生まれる。

明和7年(1770年)4月18日に元服する。閏6月23日に1万石を分与されて姫路新田藩を立藩し、帝鑑詰めとなった。その後、日光祭礼奉行や駿府加番などを務めた。大坂加番も務めている。

享和4年(1804年)1月20日に死去した。享年51。跡を次男の忠質が継いだ。

系譜

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  • 父:酒井忠恭(1710年 - 1772年)
  • 母:北原氏
  • 正室:禎祥院 - 阿部正允の娘
    • 嫡男:某 - 早世
  • 生母不明の子女