酒井忠交
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦4年2月22日(1754年3月15日) |
死没 | 享和4年1月20日(1804年3月1日) |
改名 | 盛之助(幼名)、忠交 |
別名 | 左京(通称) |
墓所 | 東京都台東区浅草の崇福寺 |
官位 | 従五位下・左近将監、縫殿頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
藩 | 播磨姫路新田藩主 |
氏族 | 酒井氏(雅楽頭家分家) |
父母 | 父:酒井忠恭、母:北原氏 |
兄弟 | 忠仰、忠得、忠宜、忠温、忠啓、忠交、忠補、米姫、井伊直禔正室、清光院、酒井忠節正室、本多忠奝正室、タキ、軽子ら |
妻 | 正室:阿部正允の娘・禎祥院 |
子 | 忠質ら |
酒井 忠交(さかい ただかた)は、播磨国姫路新田藩の初代藩主。
略歴
[編集]宝暦4年(1754年)2月22日、酒井家姫路藩の初代藩主・酒井忠恭の八男として生まれる。
明和7年(1770年)4月18日に元服する。閏6月23日に1万石を分与されて姫路新田藩を立藩し、帝鑑詰めとなった。その後、日光祭礼奉行や駿府加番などを務めた。大坂加番も務めている。
享和4年(1804年)1月20日に死去した。享年51。跡を次男の忠質が継いだ。