酒井忠菊
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 延宝7年9月23日(1679年10月27日) |
死没 | 享保7年2月6日(1722年3月22日) |
改名 | 縫殿(通称)、忠菊 |
戒名 | 海晏浄清徳雲院 |
官位 | 従五位下、飛騨守 |
幕府 | 江戸幕府大番頭 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継→吉宗 |
藩 | 越前敦賀藩主 |
氏族 | 酒井氏 |
父母 | 父:酒井忠稠、母:萬(土井利房の娘) |
兄弟 | 忠菊、忠音、忠位 |
妻 |
正室:堀田正休の娘 継室:青山忠重の娘 |
子 | 親本、忠武、忠恭、忠敬、忠香 |
酒井 忠菊(さかい ただきく)は、越前敦賀藩の第2代藩主。忠稠系小浜藩酒井家別家2代。
生涯
[編集]宝永3年(1706年)、父酒井忠稠の死去で家督を継ぐ。正徳4年(1714年)3月、大番頭となる。享保7年(1722年)2月6日に44歳で死去し、跡を三男の忠武が継いだ。長男の親本は本家の前橋藩酒井家を継いでいる。また、四男の忠恭は親本の跡を、八男の忠香は忠武の跡をそれぞれ継いでいる。
系譜
[編集]父母
正室、継室
子女