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酒井忠武

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
酒井 忠武
時代 江戸時代中期
生誕 宝永5年12月24日1709年2月3日
死没 享保16年8月21日1731年9月21日
改名 忠武
戒名 一運元利天梁院
官位 従五位下、右京亮
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
越前敦賀藩
氏族 酒井氏
父母 父:酒井忠菊、母:堀田正休の娘
兄弟 親本忠武忠恭忠敬忠香
養子:忠香
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酒井 忠武(さかい ただたけ)は、越前敦賀藩の第3代藩主。忠稠系小浜藩酒井家別家3代。

生涯

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第2代藩主・酒井忠菊の3男。正徳5年(1715年)、忠菊の嫡子となって将軍・徳川吉宗御目見した。享保7年(1722年)、父の死により家督を継いだが、翌年の自邸での失火を理由に出仕を停止させられた。嗣子無くして享保16年(1731年)8月21日、24歳で死去した。

家督は弟の忠香が継いだ。

系譜

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父母

養子