酒匂秀一
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酒匂 秀一 (さかわ しゅういち、1887年(明治20年)2月2日 - 1949年(昭和24年)7月23日)は、日本の外交官。ロシア通として知られ、南洋協会理事長等を務めた[1]。
人物
[編集]駐ポーランド特命全権大使在任中、ナチス・ドイツによるポーランド侵攻を前に、1939年(昭和14年)1月ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラー総統とポーランド外務大臣ユゼフ・ベック大佐の直接会談を実現。ソヴィエト連邦牽制のため、ドイツとポーランドの友好を維持しようとした[2]。
在ソヴィエト連邦大使館一等書記官を務めていた際には、ヨシフ・スターリンによる大粛清を逃れてきた共産党員勝野金政を保護した。
略歴
[編集]- 1887年(明治20年) - 鹿児島県生まれ。
- 1911年(明治44年) - 東京高等商業学校(のちの一橋大学)専攻部卒業[3]、長春領事官補。その後鉄嶺、牛荘等在勤。
- 1920年(大正 9年) - 外務省通商局第一課長
- 1921年(大正10年) - 外務省通商局管理課長
- 1924年(大正13年) - 外務省通商局第二課長
- 1925年(大正14年) - 在ソヴィエト連邦日本大使館一等書記官
- 1930年(昭和 5年) - カルカッタ総領事
- 1936年(昭和11年) - 駐フィンランド特命全権公使
- 1937年(昭和12年) - 駐ポーランド国特命全権大使
家族
[編集]- 父・酒匂十太郎[4]
- 母・ムラ - 鹿児島・武林善次郞二女[4]
- 妻・イト(1899年生) - 福岡・大塚富士太郎長女[4]
- 長男・孝一(1922年生)[4]
- 娘・俊子(1910年生) - 庶子。東京・草間貢の養女となる。[4]
- 娘・安子(1930年生) - 仏文学者の渡辺一民の前妻[5]。
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[6]
著書
[編集]- 『通商上に於ける日印新關係に就て(經濟研究叢書 ; 第47輯) 』(日本工業倶樂部經濟研究會, 1933年)
脚注
[編集]- ^ [1]20世紀日本人名事典
- ^ 山崎雅弘『ポーランド電撃戦』
- ^ 『東京高等商業学校一覧 大正元-2年』127頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月23日閲覧。
- ^ a b c d e 酒匂秀一『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 『人事興信録』1995年、『人事興信録』2005年、渡邊一民の項。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 『東京高等商業学校一覧 大正元-2年』東京高等商業学校、1891-1912年。