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野口正明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野口 正明
名古屋軍時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県飯塚市
生年月日 1925年3月7日
没年月日 (2004-03-24) 2004年3月24日(79歳没)
身長
体重
176 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手外野手投手
プロ入り 1942年
初出場 1942年
最終出場 1954年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

野口 正明(のぐち まさあき、1925年3月7日 - 2004年3月24日)は、福岡県飯塚市出身のプロ野球選手内野手外野手投手)。

来歴・人物

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飯塚商業学校卒業後、1942年名古屋軍内野手として入団。同年5月、プロ野球史上最長イニング記録の28イニングを戦った対大洋戦では、六番・一塁手として出場。翌1943年投手に転向し12勝をあげ、石丸進一西沢道夫らと共に投手陣の柱として活躍した。この頃、晩年の沢村栄治からも安打を放っている。

戦後、1947年中部日本軍に復帰する。1948年に球団代表であった赤嶺昌志が辞任に追い込まれると、後を追って退団、急映フライヤーズに移籍した。1949年大映スターズへ移籍。この年、札幌市円山球場で行われた対東急フライヤーズ戦で大下弘に大本塁打を打たれたが、「170mは飛んでいた」という貴重な証言をしている。

1950年西鉄クリッパース創立に伴い移籍。川崎徳次らと共に先発の柱として活躍し、1952年、23勝をあげ球団第一号となるパ・リーグ最多勝に輝いた。しかし、翌年に肩を壊して1954年に現役を引退した。

その後、三井田川、全佐世保の監督を経て、しばらくRKB毎日放送の解説を務めた。また、福岡ダイエーホークス初年度にはテレビ西日本の解説者にも就任していた(1969・70年頃にも担当。後に島田誠に交代)。現在の福岡県那珂川市で余生を過ごしたが2004年3月24日、福岡市西区の病院で心不全のため死去、79歳没[1]

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1943 名古屋
産業
25 17 12 2 1 12 4 -- -- .750 654 170.0 96 2 49 -- 3 38 1 0 36 26 1.38 0.85
1944 13 12 10 0 1 6 6 -- -- .500 441 100.0 93 3 44 -- 2 23 1 0 49 34 3.06 1.37
1948 急映 20 7 4 0 0 6 5 -- -- .545 351 84.1 85 8 19 -- 1 28 0 0 40 30 3.18 1.23
1949 大映 34 24 12 1 0 12 13 -- -- .480 917 208.2 211 35 84 -- 9 63 1 1 132 114 4.91 1.41
1950 西鉄 38 27 12 1 1 10 13 -- -- .435 920 222.2 211 25 53 -- 7 65 0 1 99 85 3.43 1.19
1951 31 25 9 1 1 12 8 -- -- .600 763 191.2 157 9 47 -- 2 62 0 0 65 60 2.81 1.06
1952 45 30 15 2 4 23 12 -- -- .657 1054 260.1 236 14 58 -- 4 75 1 0 99 75 2.59 1.13
1953 17 4 0 0 0 2 3 -- -- .400 269 61.0 74 10 15 -- 1 11 0 0 38 29 4.28 1.46
1954 2 1 0 0 0 0 1 -- -- .000 13 3.0 3 0 0 -- 0 1 0 0 3 3 9.00 1.00
通算:9年 225 147 74 7 8 83 65 -- -- .561 5382 1301.2 1166 106 369 -- 29 366 4 2 561 456 3.15 1.18
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 名古屋(名古屋軍)に、1944年に産業(産業軍)に球団名を変更

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1942 名古屋
産業
中日
40 110 104 5 17 1 0 2 24 5 1 0 0 -- 6 -- 0 13 -- .163 .209 .231 .440
1943 41 90 83 2 10 2 0 0 12 6 0 0 3 -- 3 -- 1 7 -- .120 .161 .145 .305
1944 31 113 106 5 17 3 0 0 20 5 2 1 1 -- 5 -- 0 9 -- .160 .198 .189 .387
1947 25 43 41 4 10 0 2 0 14 5 1 0 0 -- 2 -- 0 2 -- .244 .279 .341 .621
1948 急映 38 53 51 2 15 0 0 1 18 4 0 0 0 -- 2 -- 0 3 -- .294 .321 .353 .674
1949 大映 34 84 82 12 19 1 0 1 23 11 0 0 1 -- 1 -- 0 2 -- .232 .241 .280 .521
1950 西鉄 50 107 101 11 27 4 1 3 42 11 0 0 2 -- 4 -- 0 10 4 .267 .295 .416 .711
1951 34 80 77 8 14 3 0 1 20 12 1 0 2 -- 1 -- 0 10 0 .182 .192 .260 .452
1952 49 108 100 8 22 5 1 1 32 8 0 0 7 -- 1 -- 0 2 1 .220 .228 .320 .548
1953 22 29 28 2 7 0 0 0 7 2 0 0 1 -- 0 -- 0 3 2 .250 .250 .250 .500
1954 10 10 10 2 3 1 0 0 4 1 0 0 0 0 0 -- 0 3 0 .300 .300 .400 .700
通算:11年 374 827 783 61 161 20 4 9 216 70 5 1 17 0 25 -- 1 64 7 .206 .231 .276 .507
  • 名古屋(名古屋軍)は、1944年に産業に、1946年に中部日本に、1947年に中日(中日ドラゴンズ)に球団名を変更

タイトル

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背番号

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  • 7 (1942年 - 1943年、1947年)
  • 6 (1944年)
  • 19 (1948年 - 1950年)
  • 28 (1951年 - 1954年)

脚注

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関連項目

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