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野村嘉久馬

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野村嘉久馬
野村嘉久馬

野村 嘉久馬(のむら かくま、1890年明治23年)5月15日[1] - 1959年昭和34年)3月4日[2][3])は、大正から昭和期の農業経営者、政治家衆議院議員、宮崎県会議長、宮崎県西諸県郡高原町長。

経歴

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宮崎県[2]西諸県郡高原村大字西麓(現高原町[3][4]西麓[1])で、野村嘉太郎の二男として生まれる[5]。1912年(明治45年)東京農業大学高等科を卒業した[2][3][4][6][注釈 1]。帰郷して農業を営む[2]。1928年(昭和3年)家督を相続した[5]

高原村会議員、高原町長、宮崎県会議員、同参事会員、宮崎県養蚕組合連合会長などを務め[2][3][4][6]、1939年(昭和14年)県会議長に就任した[3]

1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙で宮崎県全県区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬して当選[3][5][6][7]。農林省委員、大政翼賛会宮崎県支部常務委員、同協力会議長、同県支部顧問、翼賛政治会政調大東亜委員、内務兼務委員などを務めた[3][4][6]。戦後、日本進歩党に所属し[2]、衆議院議員に1期在任[2][3][4]。その後、公職追放となった[8]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『人事興信録 第14版 下』ノ24頁では専科卒。

出典

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  1. ^ a b 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、31頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』493頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『宮崎県政外史』633頁。
  4. ^ a b c d e 『翼賛議員銘鑑』312頁。
  5. ^ a b c 『人事興信録 第14版 下』ノ24頁。
  6. ^ a b c d 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』宮崎7頁。
  7. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第21回』577頁。
  8. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿448頁。公職追放の該当事項は「翼賛県協同高原町推薦議員」。

参考文献

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  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第21回』衆議院事務局、1943年。
  • 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 宮崎県政外史編纂委員会編『宮崎県政外史』宮崎県政外史刊行会、1967年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。