金田平五郎
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金田 平五郎(かねだ へいごろう、1838年8月13日(天保9年6月24日[1]) - 1921年(大正10年)7月20日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]能登国羽咋郡中沼村(のち石川県羽咋郡南大海村→高松町→かほく市)出身[1]。漢学を学ぶ[2]。農業を営み、1860年には中沼村、次いで夏栗村、更に二ツ屋村の肝煎となる[1]。1873年、石川県第4区小1区戸長[1]、1889年、南大海村会議員、所得税調査委員、1891年、連合村会議員、同年、羽咋郡会議員、1897年、石川県会議員となる[1]。
1898年8月の第6回衆議院議員総選挙において石川3区から憲政党公認で立候補して当選した[3]。1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1909年に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員列伝』山崎謙編、衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。