鈴木和雄
表示
鈴木和雄 すずき かずお | |
---|---|
生年月日 | 1940年11月21日 |
出生地 | 群馬県利根郡新治村 |
没年月日 | 2016年5月7日(75歳没) |
出身校 | 群馬県立沼田高等学校 |
前職 |
みなかみ町長 新治村長(5期) |
公式サイト | 谷川連峰 清流ネット 鈴木和雄が牧水「みなかみ紀行」の地から |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2005年11月1日 - 2009年10月29日 |
鈴木 和雄(すずき かずお、1940年11月21日 - 2016年5月7日)は、日本の政治家。元群馬県みなかみ町長(1期)、元新治村長(5期)。利根沼田地域の「水源地特区」[1]を目指し、『みなかみ水源地構想』[2]を提唱していた。
経歴
[編集]- 1940年(昭和15年) - 11月21日、群馬県利根郡新治村出身。
- 1959年(昭和34年) - 3月、群馬県立沼田高等学校を卒業。
- 5月、新治村役場に奉職。
- 1963年(昭和38年) - 7月、郵政省水上郵便局に勤務。
- 1968年(昭和43年) - 7月、日本電信電話公社渋川電報電話局勤務。
- 1971年(昭和46年) - 5月、30歳で新治村議会議員に初当選(5期連続)
- 1976年(昭和51年) - 7月、新治村社会福祉協議会長(2期)
- 1982年(昭和57年) - 1月、群馬サイクルスポーツセンター常勤理事に就任。
- 7月、新治村議会議長に就任。
- 1984年(昭和59年) - 7月、新治村議会議長に再任。
- 1987年(昭和62年) - 12月、新治村議会議員を辞職。
- 1988年(昭和63年) - 7月、新治村長に初当選(5期連続当選)
- 全国首長連携交流会/提言実践首長会副会長・群馬県町村会長・利根郡町村会長・利根沼田学校組合理事長(利根商業高等学校)利根沼田広域市町村圏振興整備組合副理事長を歴任。
- 2004年(平成16年) - 6月30日、利根西部合併協議会長に就任[3]。
- 2005年(平成17年) - 11月1日、みなかみ町長に当選(初代)
- 2009年(平成21年) - 10月29日、退任。
- 2014年(平成26年) - 3月、『みなかみ水源地構想』を提唱。
- 2015年(平成27年) - 3月25日、まちづくリビジョン最終報告を提出。
- 2016年(平成28年) - 5月7日、急性白血病のため死去、75歳[4]。
人物
[編集]群馬県利根郡新治村に農家の長男として生まれ、兼業農家として生計を立て30歳で村議会議員に初当選、47歳で新治村長。「農村公園構想」を策定し、「道の駅たくみの里・遊神館・フルーツ公園・まんてん星の湯」を事業化して、都市と農村の交流インフラを整備した。また「でんでこ座・三国館」・民話と紙芝居の家を建設し、芸術と文化の香る村づくりを推進。平成の大合併に取り組み、利根西部合併協議会長として実現。町長選挙が行われ、初代町長に就任。行財政改革行動指針、第1次総合計画、町づくり基本条例、『みなかみ・水・「環境力」宣言』等を策定し、活力ある町づくりの基盤を構築。2009年任期を満了し、みなかみ町長を退任。2014年、利根沼田地域を更なる「水源の確保」と水害時における安全対策(特に2020年夏季オリンピック開催期間、2020年7月24日~8月9日の集中豪雨対策)を最優先に取り組むべき「水源地特区」に指定を目指し、『みなかみ水源地構想』を提唱。 趣味はゴルフと読書で、司馬遼太郎等の歴史小説を愛読。子供は息子3人現在は妻、次男夫婦と男子2人、女子1人の孫の7人家族。
脚注
[編集]- ^ “利根沼田地方を「水源地特区」に” (2013年9月26日). 2016年1月11日閲覧。
- ^ “みなかみ水源地構想” (2014年11月29日). 2016年1月11日閲覧。
- ^ “利根西部合併協議会 月夜野町・水上町・新治村”. 2016年1月11日閲覧。
- ^ 鈴木和雄さん 75歳=元みなかみ町長 /群馬 毎日新聞 2016年5月7日
関連項目
[編集]- 国家戦略特別区域・玉原ダム
- 水資源機構・利根川・利根川上流ダム群・信濃川
- カスリーン台風・平成23年7月新潟・福島豪雨
- 尾瀬原ダム計画・沼田ダム計画・阿賀野川
- 日本海横断パイプライン構想
- 世界重要農業遺産システム
外部リンク
[編集]- 谷川連峰 清流ネット 鈴木和雄が牧水「みなかみ紀行」の地から
- 鈴木 和雄 (kazuo.suzuki.5680) - Facebook
- 日本ロシア協会群馬
- 全国首長連携交流会/提言実践首長会
|
|