鈴木敏也
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鈴木 敏也(すずき としや[1]、1885年(明治18年)10月13日 - 1945年(昭和20年)12月9日[1])は、日本の国文学者。広島文理科大学教授[2][3]。族籍は愛知県士族[2][3]。号は菫村[1]。
人物
[編集]愛知県出身。鈴木光雄の長男[2][3]。1914年7月、東京帝国大学文科大学国文学科卒業[4]。1926年、家督を相続する[2][3]。広島高師教授をへて1929年広島文理大教授となる[1]。1945年8月6日、広島市への原子爆弾投下により被爆[1]。学長事務取扱に任命された[1]。1945年12月9日に死去した[1]。著作に『近世日本小説史』、『近代国文学素描』などがある。住所は広島市牛田本町[2][3]。
家族・親族
[編集]- 鈴木家
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 鈴木 敏也とはコトバンク。2017年10月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第13版 上』補遺(上巻)71頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年7月30日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第14版 上』ス74頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年10月18日閲覧。
- ^ 『東京帝国大学一覧 從大正4年 至大正5年』学士及卒業生姓名 文学士 文学科226頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年10月18日閲覧。
- ^ a b c 『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』広島16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年10月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 從大正4年 至大正5年』東京帝国大学、1913-1924年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。