古賀行義
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古賀 行義(こが ゆきよし、1891年(明治24年)11月26日 - 1979年(昭和54年)3月28日)は、日本の心理学者である[1][2]。別名に壺井 潔(つぼい きよし)がある[1][3]。
経歴・人物
[編集]熊本県熊本市に生まれる[2]。東京帝国大学(現在の東京大学)にて哲学科に所属し[2]、後に同じく心理学者となる浜中浜太郎[2]、黒田亮らと共に心理学を学ぶ[2][3]。1915年(大正4年)に卒業を迎えたが[2]、その後も同大学に残留し経済学科に所属した[2]。1920年(大正9年)に卒業後は[2]、旧制の名古屋高等商業学校(現在の名古屋大学大学院経済学研究科・経済学部)にて教鞭を執った[1][2]。
1921年(大正10年)より留学のため渡米し[2]、その後はイギリスにてロンドン大学に入学する[2]。同学校にてカール・ピアソンから因子分析を中心に数学を学び[1][2]、後にチャールズ・スピアマンにも師事した[2]。後にドイツを経て1924年(大正13年)に帰国し[2]、帰国後の1930年(昭和5年)からは広島文理科大学の教授となり[1][2]、幅広い分野の心理学の研究に携わった[2]。戦後の学制改革にともない広島大学教授となり、後に同大学の学長や日本心理学会の会長も歴任した[1][3]。
著書
[編集]- 『知能相関』
- 『心理学概説』
脚注
[編集]公職 | ||
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先代 斯波六郎 広島文理科大学附属図書館長 |
広島大学附属図書館長 1950年 - 1956年 広島文理科大学附属図書館長 1947年 - 1949年 |
次代 千代田謙 |
先代 鴛淵一 |
広島大学皆実分校主事 1951年 - 1954年 |
次代 鳴沢寡愆 |
学職 | ||
先代 高木貞二 |
日本心理学会理事長 1957年 - 1959年 |
次代 横山松三郎 |
先代 中村弘道 |
日本応用心理学会会長 1955年 - 1956年 |
次代 石川七五三二 |