鈴木繁氏
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正4年(1576年)? |
死没 | 正保2年(1645年)? |
別名 | 鈴木重氏、城之介、左七郎 |
主君 | 後北条氏 |
氏族 | 江梨鈴木氏 → 小屋瀬鈴木家 |
父母 | 父:鈴木繁光? |
兄弟 | 繁脩、繁氏 |
妻 | 不詳 |
子 | 某 |
鈴木 繁氏(すずき しげうじ、生没年不詳)は、戦国時代から江戸時代前期の武将。戦国大名・後北条氏の家臣。通称は城之介、左七郎。
略歴
[編集]江梨鈴木氏の一族で、江梨城主・鈴木繁脩(大学頭)の弟。父は鈴木繁朝の子、繁光とされる。
天正18年(1590年)に豊臣秀吉が後北条氏を攻めた小田原征伐で、繁氏は後北条氏に従って敗走し、家臣団20余名を伴い陸奥国葛巻村高野城(現・岩手県葛巻町小屋瀬)に落ち延びた。このとき小屋瀬まで従った家臣には、土屋次郎義真、三好弥九郎定親、中村茂左衛門義宗、油井徳仙、千葉平右衛門友行、林勘兵衛貞景、回立金六頼雅、刻嶋彦助正信ら武士7名、郎党24名がいたという。
小屋瀬に下向すると家臣たちと屋敷を構えて土着し、小屋瀬鈴木家の祖となり、同家は江戸時代にこの地の地頭として続いた。
参考文献
[編集]- 葛巻町誌編纂委員会『葛巻町誌〈一巻〉』1987年。
- 葛巻町誌編纂委員会『葛巻町郷土史年表』2005年。
- 沼津史談会『沼津史談 第36号 –ルーツ探訪(そのニ)江梨鈴木繁朝の嫡子 大学繁脩の父は繁光か 関為弥氏-』。