銀水村
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ぎんすいむら 銀水村 | |
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廃止日 | 1941年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 銀水村、三池町、駛馬町、玉川村 → 大牟田市 |
現在の自治体 | 大牟田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 福岡県 |
郡 | 三池郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
19,731人 (国勢調査、1940年) |
隣接自治体 |
大牟田市、三池郡三池町・開村・飯江村・高田村、山門郡山川村 熊本県玉名郡南関町・賢木村 |
銀水村役場 | |
所在地 | 福岡県三池郡銀水村 |
座標 | 北緯33度03分17秒 東経130度27分05秒 / 北緯33.05461度 東経130.45142度座標: 北緯33度03分17秒 東経130度27分05秒 / 北緯33.05461度 東経130.45142度 |
ウィキプロジェクト |
銀水村(ぎんすいむら)は、福岡県の南部、三池郡にかつてあった村である。
概要
[編集]現在の大牟田市の北部、大字吉野・宮崎・倉永・岩本・上内・四ケ・唐船・岬・手鎌・甘木・白銀・橘・宮部・久福木・田隈・草木・白川及び上白川町・中白川町・下白川町にあたる。なお、昭和開(しょうわびらき)については、銀水村が大牟田市に編入された後、1950年代に始まった三池干拓事業により造成された土地であるため、旧銀水村域には含まれない。
西は有明海に面し、南西は大牟田市、南東は三池町、北西は開村、北は高田村、北東は飯江村と山川村、東は熊本県玉名郡南関町及び賢木村と接していた(開村・高田村・飯江村・山川村は現在のみやま市、賢木村は現在の南関町)。
合併当時、旧村域は三池郡に属する町村の中で最も面積が広く、現在の大牟田市のほぼ北半分を占めていた。また、合併後、特に戦後になって急速に宅地化が進み、現在の人口は4万人を超えている[1]。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行。白銀(しらがね)、橘(たちばな)、宮部(みやべ)、久福木(くぶき)、田隈(たくま)、草木(くさき)、白川(しらかわ)の7村が合併して(旧)銀水村が発足。
- 1907年(明治40年)5月1日 - 倉永、上内、手鎌及び(旧)銀水の4村が対等合併して(新)銀水村が発足。
- 1935年(昭和10年)6月30日 - 集中豪雨により白銀川が溢流。約500戸が浸水した[2]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 大牟田市に編入。
村長
[編集]学校
[編集]- 橘小学校(のちの銀水小学校、現在の大牟田市立銀水小学校)
- 上兎道小学校(のちの上内小学校、現在の大牟田市立上内小学校)
- 深倉小学校(のちの手鎌尋常小学校、現在の大牟田市立手鎌小学校)
- 倉永小学校(現在の大牟田市立倉永小学校)
交通
[編集]脚注
[編集]- ^ 大牟田市の人口(住民基本台帳による)(町丁別)参照。
- ^ 筑後川堤防が決壊、久留米市に濁流『大阪毎日新聞』昭和10年6月30日号外(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p218 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)