駛馬町
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はやめまち 駛馬町 | |
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廃止日 | 1941年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 駛馬町、三池町、玉川村、銀水村 → 大牟田市 |
現在の自治体 | 大牟田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 福岡県 |
郡 | 三池郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
21,870人 (国勢調査、1940年) |
隣接自治体 |
大牟田市、三池郡玉川村 熊本県玉名郡荒尾町・平井村 |
駛馬町役場 | |
所在地 | 福岡県三池郡駛馬町 |
座標 | 北緯33度00分41秒 東経130度27分07秒 / 北緯33.01133度 東経130.45189度座標: 北緯33度00分41秒 東経130度27分07秒 / 北緯33.01133度 東経130.45189度 |
ウィキプロジェクト |
駛馬町(はやめまち)は、福岡県の南部、三池郡にかつてあった町である。
概要
[編集]現在の大牟田市の南部、藤田町・沖田町・神田町・馬場町・馬込町・米生町・臼井町・野添町・早鐘町などにあたる。
北から西を大牟田市、東は玉川村と接していた。また、南は熊本県玉名郡荒尾町及び平井村(いずれも現在の荒尾市)と接していた。
町域には、1674年(延宝2年)に竣工した現存する最古の石造水路橋である早鐘眼鏡橋があった。また、1898年(明治31年)し、1931年(昭和6年)に閉坑した三池炭鉱宮原坑が町のほぼ中央部にあり、三池鉄道が町域を縦断していた。
歴史
[編集]- 1889年4月1日 - 町村制が施行。藤田(ふじた)、西米生(にしよねお)の2村と東米生(ひがしよねお)村の一部が合併して発足(駛馬村)。
- 1938年4月17日 - 駛馬村が町制を施行し、駛馬町となる。
- 1941年4月1日 - 大牟田市に編入。
学校
[編集]- 米生小学校(のちの駛馬尋常小学校→大牟田市立駛馬北小学校、現在の大牟田市立駛馬小学校)
- 駛馬尋常小学校沖田分校(のちの大牟田市立駛馬南小学校)
- 私立三井三池尋常小学校勝立分校(のちの大牟田市立笹原小学校、現在の大牟田市立天の原小学校)[1]