鍵山正和
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生誕 |
1971年4月12日(53歳) 日本・愛知県名古屋市 | ||||||||||||||||||||||||
親族 | 鍵山優真(長男) | ||||||||||||||||||||||||
出身校 | 愛知工業大学名電高等学校 | ||||||||||||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||||||||||||
代表国 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||
カテゴリー | 男子シングル | ||||||||||||||||||||||||
引退 | 1994年 | ||||||||||||||||||||||||
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鍵山 正和(かぎやま まさかず、1971年4月12日 - )は、愛知県名古屋市出身の男性フィギュアスケート選手で現在はコーチ。日本人で初めて4回転ジャンプに挑戦した人物である。1992年アルベールビルオリンピック、1994年リレハンメルオリンピック男子シングル日本代表。愛知工業大学名電高等学校卒業。愛知工業大学中退[1]。息子は同じフィギュアスケート選手の鍵山優真。
経歴
[編集]1991年から全日本フィギュアスケート選手権3年連続で優勝した。1994年の全日本フィギュアスケート選手権では及川史弘に次ぐ2位に終わった。
解説者の五十嵐文男は「膝と足首が柔らかい選手」と評価した。アクセルジャンプはやや苦手としたが、膝と足首の柔らかさはトリプルルッツ-トリプルトゥなどの連続ジャンプでより活かされた。
本田武史が登場するまでの、日本の男子フィギュアスケート界を牽引した人物であった。1992年アルベールビル五輪・1994年リレハンメル五輪に男子シングルでニ大会連続で出場したが、8位入賞には一歩届かなかった。それでも日本・千葉市で開催の1994年世界選手権では、トリプルアクセル-ダブルトゥやトリプルルッツ-トリプルトゥを決め、自己最高の6位入賞を果たす。同大会を最後に現役引退。
息子の鍵山優真もフィギュアスケート選手(2022年北京冬季五輪個人銀メダル・団体銅メダル)であり、選手とコーチの間柄である[2][3]。
2018年6月23日に脳出血を発症し、入院したがその後は後遺症を残しながらも回復している。
プロ転向後の活動
[編集]- 1994~2005.5 プリンスアイスワールドにてソロ
- 2005.12~2010 富山スケートセンター専属インストラクター
- 2011~2016.3 風越公園アイスアリーナ専属インストラクター
- 2016.4~ 横浜銀行アイスアリーナ専属インストラクター
主な戦績
[編集]大会/年 | 1987-88 | 1988-89 | 1989-90 | 1990-91 | 1991-92 | 1992-93 | 1993-94 |
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オリンピック | 13 | 12 | |||||
世界選手権 | 10 | 19 | 8 | 6 | |||
全日本選手権 | 2 | 1 | 1 | 1 | 2 | ||
NHK杯 | 8 | 11 | 4 | 6 | 4 | ||
ユニバーシアード | 3 | ||||||
世界Jr.選手権 | 10 | 3 | |||||
全日本Jr.選手権 | 1 | 1 |
脚注
[編集]- ^ SWAN通信 No.65 長野県体育協会 p.7
- ^ フジTV web「SKATE LINK 注目選手紹介」
- ^ “安藤美姫さん 2位発進の鍵山優真パパは「怖い、厳しい、いかつい」”. 東スポweb (2022年2月9日). 2023年12月9日閲覧。
外部リンク
[編集]- 鍵山正和 - Olympedia