鎌ケ谷市立鎌ケ谷小学校
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鎌ケ谷市立鎌ケ谷小学校 | |
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北緯35度46分21秒 東経140度00分07秒 / 北緯35.772389度 東経140.002083度座標: 北緯35度46分21秒 東経140度00分07秒 / 北緯35.772389度 東経140.002083度 | |
過去の名称 | 鎌ヶ谷尋常高等小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 鎌ケ谷市 |
設立年月日 | 1874年1月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B112210005270 |
所在地 | 〒273-0124 |
千葉県鎌ケ谷市中央二丁目1番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
鎌ケ谷市立鎌ケ谷小学校(かまがやしりつ かまがやしょうがっこう)は、千葉県鎌ケ谷市中央二丁目にある公立小学校。
沿革
[編集]前史
[編集]- 明治6年(1873年)8月 - 現在の南鎌ケ谷に柏井学校鎌ヶ谷分校が設立される。
- 明治7年(1874年)1月 - 柏井学校鎌ヶ谷分校が鎌ヶ谷小学校として独立し、開校。これを以て鎌ヶ谷小学校の創立とする。
統合以後
[編集]- 大正11年(1922年)5月22日 - 村内の鎌ヶ谷尋常小学校、中野尋常小学校、明尋常小学校の三校を統合し、本校の直接の前身である鎌ヶ谷尋常高等小学校が開校。道野辺字北下1000番地に校舎を新設し、旧鎌ヶ谷尋常小学校を尋常小学校第一分校、旧中野尋常小学校を尋常小学校第二分校、旧明尋常小学校を尋常小学校第三分校とする(高等科は本校にのみ設置)。
- 昭和9年(1934年)5月31日 - 貴族院議員三橋弥より用地の寄付を受け、初富字富岡517番地(現在のショッピングプラザ鎌ヶ谷の位置)に移転。
- 昭和16年(1941年)4月1日 - 国民学校令施行により、鎌ヶ谷国民学校に改称。
- 昭和22年(1947年)4月1日 - 学制改革により、鎌ヶ谷村立鎌ヶ谷小学校に改称。
- 昭和33年(1958年)8月1日 - 町制施行により、鎌ヶ谷町立鎌ヶ谷小学校に改称。
- 昭和35年(1960年)10月 - 現行校歌制定(作詩勝承夫、作曲信時潔)。
- 昭和37年(1962年)4月 - 第一分校が鎌ヶ谷町立東部小学校として独立[1]。
- 昭和39年(1964年)4月 - 第三分校が鎌ヶ谷町立北部小学校として独立[1]。
- 昭和40年(1965年)4月 - 第二分校が鎌ヶ谷町立南部小学校として独立[1]。
- 昭和41年(1966年)4月 - 初富字稲荷前643番地(現在地)への移転を開始。
- 昭和42年(1967年)4月 - 鎌ヶ谷町立西部小学校が分離開校[1]。
- 昭和45年(1970年)4月 - 現校舎への移転完了。鎌ヶ谷町立中部小学校が分離開校[1]。
- 昭和46年(1971年)4月 - 体育館完成。
- 昭和46年(1971年)9月1日 - 市制施行により、鎌ヶ谷市立鎌ヶ谷小学校に改称。
- 昭和47年(1972年)9月 - プール完成。
- 昭和49年(1974年)4月 - 鎌ヶ谷市立初富小学校が分離開校[1]。
- 昭和52年(1977年)4月 - 鎌ヶ谷市立道野辺小学校が分離開校[1]。
- 昭和53年(1978年)4月 - 鎌ヶ谷市立五本松小学校が分離開校[1]。
- 昭和56年(1981年)6月1日 - 住居表示実施により、所在地の住所が中央二丁目1-1となる。
- 平成15年(2013年)4月 - 学童保育を開始。
学区
[編集]- 大字初富のうち 377番地-378番地の全部と、929番地の一部
- 南初富二丁目のうち 1番の19号-45号
- 南初富三丁目のうち 18番-22番
- 南初富四丁目・五丁目・六丁目(全域)
- 中央一丁目のうち 1番-8番、19番-20番
- 中央二丁目のうち 1番-2番の全部と、3番の一部
- 富岡一丁目のうち 1番-9番、10番の1号-18号
- 富岡二丁目(全域)
- 富岡三丁目のうち 1番-30番
- 右京塚のうち 1番
- 初富本町(全域)
- 新鎌ケ谷一丁目のうち 1番-13番
- 新鎌ケ谷二丁目のうち 1番-6番
- 新鎌ケ谷三丁目のうち 1番-2番
- 道野辺中央一丁目(全域)
- 道野辺本町一丁目(全域)
- 大字中沢のうち 1556番地
- 東中沢一丁目のうち 3番-4番
- 東中沢二丁目のうち 1番の1号-24号、2番-13番
- 北中沢一丁目のうち 2番-13番
※2022年9月現在[2]
出身者
[編集]- 芝田裕美 - 鎌ケ谷市長
脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『鎌ヶ谷市史 上巻』(千葉県鎌ケ谷市、1982年)