鎌田典三郎
表示
鎌田 典三郎(かまた のりさぶろう、1928年11月10日 - 1999年3月20日)は、日本の音楽家、音楽教育者。秋田県生まれ。
来歴
[編集]秋田県南秋田郡払戸村(1956年琴浜村に合併後、町制施行で若美町となり、2005年に男鹿市に合併)生まれ。朝鮮清州師範学校音楽科卒。海軍生活の後、当時の男鹿町の小学校で教鞭をとる。
同じく秋田出身の石井漠に見出されて上京し、1951年、東京都大田区の大田区立西六郷小学校に赴任した。
合唱指導者として
[編集]1955年、放課後、音楽室で歌唱指導を始めたのを元にし、ウィーン少年合唱団を模して、合唱団を結成した。これが、西六郷少年合唱団(のちの西六郷少年少女合唱団)である。
1960年代、各合唱コンクールにおいて、優秀な成績を修めた。 また、NHK教育テレビの音楽番組「歌はともだち」、「歌のメリーゴーランド」など、相次いでレギュラー出演した。 “合唱の西六”との名を全国に知らせる活躍を果たした。 これは、独自のスパルタ教育が功を奏した結果と言われる。
また、編曲者として多数の合唱曲の編曲に携わっている。
晩年
[編集]1998年に末期癌と診断され、病気と闘いながら合唱団の定期コンサートの準備を行っていた。 1999年3月20日死去、享年71。
なお、合唱団については、「1999年5月3日のコンサートをもって合唱団を解散させる」と内外に表明していた。
参考書籍
[編集]- ※雑誌「教育音楽・小学版」に1985~86年に連載された記事の単行本版