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長崎市立小榊小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長崎市立小榊小学校
地図北緯32度43分34.8秒 東経129度49分57.3秒 / 北緯32.726333度 東経129.832583度 / 32.726333; 129.832583座標: 北緯32度43分34.8秒 東経129度49分57.3秒 / 北緯32.726333度 東経129.832583度 / 32.726333; 129.832583
国公私立の別 公立学校
設置者 長崎市
併合学校 長崎市立神ノ島小学校
長崎市立立神小学校
設立年月日 【創立】
1884年(明治17年)
【統合】
1955年昭和30年)1月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210000135 ウィキデータを編集
所在地 850-0079
長崎県長崎市みなと坂1丁目35番6号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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長崎市立小榊小学校(ながさきしりつ こさかきしょうがっこう、Nagasaki City Kosakaki Elementary School)は、長崎県長崎市みなと坂(みなとざか)にある公立小学校

概要

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歴史
創立は1884年明治17年)。1955年昭和30年)1月1日に長崎市立神ノ島小学校を統合。2001年(平成13年)4月1日には長崎市立立神小学校を統合し、2014年(平成26年)に創立130周年を迎える。
校名の由来
かつて存在した村名「小榊村」(現・長崎市小榊地区)に由来する。1898年(明治31年)に淵村から分立する際に、村を構成する小瀬戸郷(こせど)の「」、木鉢郷(きばち)の「」、神ノ島郷(かみのしま)の「」の文字を組み合わせて「小榊」という村名となった。
教育目標
「心(ころ)やさしく助け合う子 がし求めて学ぶ子 らだをきたえ明るい子 まりを守りやり抜く子」
校歌
1957年昭和32年)1月1日に制定。歌詞は3番まであり、各番とも校名の「小榊小」が登場する。
校区
長崎市立西泊中学校校区[1]

沿革

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前史
旧・小榊小学校(木鉢小学校)
旧・神ノ島小学校
  • 1884年(明治17年)9月1日 - 「西彼杵郡瓊浦学区淵小学校[2]神ノ島分校」が開校。
  • 1898年(明治31年)10月 - 「木鉢尋常小学校神ノ島分教場」となる。
  • 1913年(大正2年)- 「小榊第二尋常小学校」に改称[5]
  • 1919年(大正8年)- 「小榊尋常小学校」に改称。
  • 1922年(大正11年)- 小榊実業補習学校を併設。
  • 1938年(昭和13年)4月1日 - 小榊村が長崎市に編入されたことにより、「神ノ島尋常小学校」に改称。
  • 1946年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「神ノ島国民学校」に改称。
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により「長崎市立神ノ島小学校」が発足。
    • 7月 - 長崎市立木鉢中学校神ノ島分校が併設される。
  • 1948年(昭和23年)8月 - 併設の長崎市立木鉢中学校が長崎市立西泊中学校に改称。
  • 1949年(昭和24年)3月以降 - 西泊に中学校の新校舎が完成し、分校が廃止され、併設を解消。
統合
  • 1955年(昭和30年)1月1日 - 長崎市立神ノ島小学校[7]を統合し、新「長崎市立小榊小学校」(現校名)が発足。児童数805名(19学級)
  • 1957年(昭和32年)1月1日 - 校歌を制定。
  • 1961年(昭和36年)10月 - 校旗を制定。
  • 1965年(昭和40年)9月 - 教材池が完成。 
  • 1970年(昭和45年)4月 - 体育館が完成。
  • 1975年(昭和50年)6月 - プールが完成。
  • 1984年(昭和59年)3月 - 創立100周年および合併30周年を記念し、木鉢尋常小学校と神ノ島尋常小学校の門柱を移設。
  • 2001年(平成13年)
    • 3月 - 運動場を改修。
    • 4月1日 - 長崎市立立神小学校を統合。立神小学校の門柱を移設。
  • 2010年(平成22年)- 体育館の耐震補強工事を完了。 
  • 2016年(平成28年) -2学期より校舎の老朽化と生徒数の増加によりみなと坂に移転。

アクセス

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最寄りのバス停

周辺

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脚注

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  1. ^ 長崎市 市立小・中学校校区(PDF) - 長崎市役所ウェブサイト
  2. ^ a b 淵小学校は1882年(明治15年)に浦上淵村稲佐郷の淵神社社務所を仮教場とし、下等飽浦小学校を統合する形で開校した。1895年(明治28年)に淵小学校は廃止され、稲佐尋常小学校飽浦尋常小学校に分離した。
  3. ^ 「町名誕生の由来とあゆみ わが町の歴史散歩(2)」(著:能弘人, 1994年(平成6年)4月28日発行, 新波書店)p.330
  4. ^ 7月とも。
  5. ^ a b 「角川 日本地名大辞典 42 長崎県」(1987年(昭和62年)7月8日発行, 角川書店)p.411「小榊村」より。1915年(大正4年)12月23日発行の「長崎県大観 大典記念」(著:中川観秀、出版:長崎新聞社)によれば、学校は第一小榊尋常小学校と第二小榊尋常小学校があり、児童数計494名(男子270名・女子224名)とある。長崎県大観 : 大典記念国立国会図書館近代デジタルライブラリー)p.239(コマ番号138)
  6. ^ 1921年(大正10年)とも。
  7. ^ 「角川 日本地名大辞典 42 長崎県」(1987年(昭和62年)7月8日発行, 角川書店)p.304「神ノ島」に1913年(大正3年)創立とある。

参考文献

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  • 長崎県大観 大典記念」(1915年(大正4年)12月23日発行, 著:中川観秀, 出版:長崎新聞社)- 国立国会図書館近代デジタルライブラリー p.239(コマ番号138)
  • 西彼杵郡現勢一班」(1926年(昭和元年)12月31日発行, 出版:郡役所廃止記念会)- 国立国会図書館近代デジタルライブラリー p.488(コマ番号255)
  • 「角川 日本地名大辞典 42 長崎県」(1987年(昭和62年)7月8日発行, 角川書店)
  • 「小榊」(1988年(昭和63年)10月、長崎市編入50周年記念行事実行委員会)
  • 「市制百年 長崎年表」(1989年(平成元年)4月1日、長崎市役所
  • 「町名誕生の由来とあゆみ わが町の歴史散歩(2)」(著:能弘人, 1994年(平成6年)4月28日発行, 新波書店)
  • 「小榊小学校創立50周年」(2004年(平成16年)6月、小榊小学校50周年記念実行委員会)

関連項目

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外部リンク

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