長崎市立磨屋小学校
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長崎市立磨屋小学校 | |
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北緯32度44分47.918秒 東経129度52分54.862秒 / 北緯32.74664389度 東経129.88190611度座標: 北緯32度44分47.918秒 東経129度52分54.862秒 / 北緯32.74664389度 東経129.88190611度 | |
過去の名称 |
啓蒙学校 旧川小学校 榎津小学校 中等榎津小学校 中等鶴鳴小学校 尋常鶴鳴小学校 長崎尋常女児小学校 磨屋町女児尋常小学校 磨屋尋常小学校 磨屋国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長崎市 |
設立年月日 | 1873年 |
閉校年月日 | 1997年(平成9年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒850-0873 |
長崎県長崎市諏訪町7番13号 | |
外部リンク | 長崎市立諏訪小学校公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長崎市立磨屋小学校(ながさきしりつ とぎやしょうがっこう, Nagasaki City Togiya Elementary School)は、かつて長崎県長崎市諏訪町にあった公立小学校。1997年(平成9年)に、統廃合で閉校した。
概要
[編集]- 歴史
- 長崎市立勝山小学校とともに、1873年(明治6年)に長崎県内で初めて設置された公立小学校である。
- 創立124周年目の1997年(平成9年)に長崎市立勝山小学校・長崎市立新興善小学校との統合[1]で閉校し、跡地には長崎市立諏訪小学校が開校した。
- 校訓
- 「質実剛健」
- 校章
- 校名の「磨」の文字を図案化したものである。
- 校歌
- 作詞は島内八郎、作曲は木野普見雄による。3番まであり、各番に校名の「磨屋小学校」が登場する。
- 校区
- 中学校区は長崎市立桜馬場中学校であった。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年)
- 3月11日 - 「第二番小学・啓蒙学校」が磨屋町(現 古川町・諏訪町)に創立。
- 8月〜10月の間 - 第二番小学・啓蒙学校が開校。(生徒数44名、教員8名)
- 1874年(明治7年)1月 - 啓蒙学校が「旧川小学校」に改称。私塾に4分校を置く。
- 1875年(明治8年) - 榎津町(現 万屋町・鍛冶屋町)に移転し、「榎津小学校」と改称。
- 1882年(明治15年)12月11日 - 新教育令の実施により、「中等榎津小学校」となる。小学校の修学年限を初等科3年・中学科3年・高等科2年の8年とした。
- 1886年(明治19年)
- 1887年(明治20年)12月 - 夜学校を併設。
- 1893年(明治26年)4月1日 - 長崎市内の小学校の統廃合が行われ、「長崎尋常女児小学校」に改称。
- 1900年(明治33年)4月 - 分教場を新橋町に移す(同年6月に「新橋町尋常女児小学校」として独立)。
- 1901年(明治34年)3月11日 - 「磨屋町女児尋常小学校」に改称。
- 1908年(明治41年)4月2日 - 「磨屋尋常小学校」に改称。男女共学を実施。小学校令一部改正により、義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長。
- 1922年(大正11年)3月 - 長崎市小学校創立50周年記念式典を挙行。勝山高等小学校等を会場に記念事業が行われる。
- 1923年(大正12年)4月 - 尋常小学校の授業料が全廃される。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「磨屋国民学校」と改称。
- 1945年(昭和20年)
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、「長崎市立磨屋小学校」(最終名)となる。
- 1973年(昭和48年)3月11日 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1997年(平成9年)3月31日 - 統廃合により閉校。124年の歴史に幕を下ろす。
跡地
[編集]- 1997年(平成9年)4月1日〜2000年(平成12年)3月31日 - 旧校舎を解体し、長崎市立諏訪小学校の新校舎を建設。(この間、旧新興善小学校の校舎を使用。)
- 2000年(平成12年)4月1日〜 新校舎が完成し、長崎市立諏訪小学校が使用。現在に至る。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「市制百年 長崎年表」 (1989年(平成元年)4月1日, 長崎市役所)
- 「磨屋尋常小学校創立五十年記念誌」(1922年(大正11年)3月11日, 長崎市磨屋尋常小学校)- 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- メモリアルホール(旧磨屋小学校) - 長崎市立諏訪小学校ウェブサイト