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長崎市立勝山小学校

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長崎市立勝山小学校
地図北緯32度45分4.2秒 東経129度52分45.3秒 / 北緯32.751167度 東経129.879250度 / 32.751167; 129.879250座標: 北緯32度45分4.2秒 東経129度52分45.3秒 / 北緯32.751167度 東経129.879250度 / 32.751167; 129.879250
過去の名称 第一番小学・向明学校
勝山小学校
上等勝山小学校
第一高等小学校・尋常勝山小学校
勝山高等小学校・勝山尋常小学校
勝山尋常高等小学校
長崎市勝山国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 長崎市
設立年月日 1873年明治6年)3月11日
閉校年月日 1997年平成9年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 850-0028
長崎県長崎市勝山町30番地1
ウィキポータル 教育
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長崎市立勝山小学校(ながさきしりつ かつやましょうがっこう, Nagasaki City Katsuyama Elementary School)は、かつて長崎県長崎市勝山町にあった公立小学校。長崎県内で最初に開校した公立小学校である。

1997年(平成9年)に、統廃合で閉校。閉校後は長崎市立桜町小学校[1]の校舎へと引き継がれた。

沿革

[編集]
  • 1873年(明治6年)
    • 3月11日 - 前年1872年(明治5年)の学制公布により、「第一番小学・向明学校」が勝山町に創立。
    • 8月~10月の間 - 第一番小学・向明学校が開校。「女児小学・英華学校」を併設。(生徒数174名、教員8名)
    • 12月 - 向明学校内に教員伝習所が置かれる。
  • 1874年(明治7年)
  • 1875年(明治8年)2月 - 小学教則講習所が興善小学校へ移転し、養成所と改称。
  • 1877年(明治10年)
    • 2月 - 養成所が小学教師養成所、長崎公立師範学校に改称の後、勝山小学校に再移転。
    • 11月 - 長崎公立師範学校が新町に移転。
  • 1882年(明治15年)12月11日 - 教育令の公布により、「上等勝山小学校」、長崎女児小学校を「上等女児小学校」と改称。
    • 小学校の修学年限を初等科3年・中学科3年・高等科2年の8年とした。
  • 1886年(明治19年)6月15日 - 小学校令公布。
    • 上等勝山小学校を「第一高等小学校」と「尋常勝山小学校」に分離。(小学校を尋常科4年・高等科4年に分けた。)
    • 上等女児小学校を「第一女児小学校」と「尋常女児小学校」に分離。
  • 1887年(明治20年)10月21日 - 尋常女児小学校に幼稚科を付設。(長崎市立長崎幼稚園の前身)
  • 1893年(明治26年)4月1日 - 小学校令改正。
    • 第一高等小学校を「長崎高等小学校」、尋常勝山小学校を「長崎尋常小学校」と改称。
    • 第一女児小学校を「長崎高等女児小学校」に改称し、興善町に設置。尋常女児小学校を「長崎尋常女児小学校」に改称し、磨屋町に移転。
  • 1895年(明治28年)10月 - 高等小学校内に相撲場を設置。
  • 1897年(明治30年)6月 - 高等小学校内に器械体操の設備がなされる。
  • 1899年(明治32年)7月 - 尋常小学校でトラホーム検診を実施。
  • 1901年(明治34年)3月 - 長崎高等小学校を「勝山高等小学校」に、長崎尋常小学校を「勝山尋常小学校」に改称。
    • この時、長崎高等女児小学校を興善女児高等小学校と改称。
  • 1902年(明治35年)10月 - 興善女児高等小学校が西山に移転し、西山女児高等小学校[2]と改称。
  • 1922年(大正11年)3月 - 長崎市小学校創立50周年記念式典を挙行。勝山高等小学校等を会場に記念事業が行われる。
  • 1923年(大正12年)4月 - 長崎市、尋常小学校の授業料を全廃。
  • 1924年(大正13年)7月21日 - 勝山高等小学校と勝山尋常小学校を統合し、尋常小学校所在地に「勝山尋常高等小学校」を設置。
  • 1941年昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「勝山国民学校」と改称。
  • 1945年(昭和20年)
    • 8月9日 - 長崎市へ原爆が投下される。
    • 8月11日 - 救護所[3]が設けられ、多数の負傷者が殺到し、混乱を極める。最終的には新興善国民学校(新興善小学校)に救護所が統合される。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
    • 旧・国民学校の初等科を改組し、「長崎市立勝山小学校」(最終名)とする。
    • 旧・国民学校の高等科を改組。長崎市立勝山中学校とし、校舎完成までの間、小学校に併設。
  • 1949年(昭和24年)7月1日 - 中学校の校舎が本大工町[4]に完成し、移転の上、長崎市立長崎中学校と改称。併設を解消。
  • 1961年(昭和36年)11月19日 - 長崎市教育委員会が第1回小学校楽器祭を実施。7校計400名の児童が参加する。
  • 1973年(昭和48年)11月2日 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1975年(昭和50年)10月6日 - 肢体不自由学級「太陽学級」の開級式を挙行。普通校に開設されたのは長崎県内で初。
  • 1976年(昭和51年)4月10日 - 情緒障害児学級を開設。長崎市立山里小学校のやまばと学級に次いで2番目の設置。
  • 1997年(平成9年)3月31日 - 長崎市立新興善小学校長崎市立磨屋小学校との統廃合により閉校。124年の歴史に幕を下ろす。

脚注

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  1. ^ 1997年4月~2000年3月まで使用。後に解体・新築され、2003年4月より桜町小学校の新校舎として使用されている。
  2. ^ 1924年(大正13年)3月に廃校となり、校地が長崎市立高等女学校に充てられた。
  3. ^ 他にも新興善、伊良林、磨屋、稲佐の国民学校、長崎経済専門学校(現 長崎大学経済学部)、大光寺、悟真寺などに救護所が設けられた。
  4. ^ 現在における長崎市民会館の位置

参考文献

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関連事項

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外部リンク

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