コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

長源寺 (京都市左京区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長源寺
所在地 京都府京都市左京区岩倉長谷町575番地
位置 北緯35度4分50.6秒 東経135度47分17.3秒 / 北緯35.080722度 東経135.788139度 / 35.080722; 135.788139座標: 北緯35度4分50.6秒 東経135度47分17.3秒 / 北緯35.080722度 東経135.788139度 / 35.080722; 135.788139
山号 朗詠山
宗旨 浄土宗
宗派 鎮西派
本尊 阿弥陀如来立像
創建年 寛正4年(1463)
中興年 寛文12年(1672)
中興 真悦
文化財 薬師如来立像 (重要文化財) - 旧恵尊寺本尊
法人番号 2130005000286
長源寺 (京都市左京区)の位置(京都市内)
長源寺 (京都市左京区)
テンプレートを表示

長源寺(ちょうげんじ)は京都府京都市左京区岩倉長谷町にある、浄土宗鎮西派寺院山号は朗詠山。知恩院末寺

なお、本稿では、明治5年(1871)に長源寺に合併統一された恵尊寺・地蔵院・無縁堂・常春庵・妙源庵の五ヶ寺についても述べる。

歴史

[編集]
  • 寛正4年(1463):長谷上ノ町に創建される。
  • 寛文12年(1672):真悦和尚によって再建される。
  • 明治5年(1871):恵尊寺・地蔵院・無縁堂・常春庵・妙源庵の五ヶ寺を合併統一し、地蔵院跡地に移転。
  • 昭和38年(1963)12月:京都市立明徳小学校の旧講堂の建材を利用し、小倉山山麓(現在地)に堂・庫裡を新築移転。

[1]

本尊

[編集]

阿弥陀如来立像

[編集]

江戸時代の作。同厨子内の両脇に、観世音菩薩勢至菩薩を安置する。[1]

五ヶ寺合併

[編集]

明治5年(1871)に以下の五ヶ寺が長源寺に合併統一された。 [† 1]

恵尊寺

[編集]

恵尊寺(えそんじ)は、京都府愛宕郡長谷村(字)出り口にあった寺院。[2]

本尊の薬師如来立像平安時代(10世紀末[2])の作で、昭和8年(1933)に当時の国宝保存法に基づく国宝(旧国宝、文化財保護法施行後は重要文化財)に指定された。昭和35年(1960)に、国庫修理所において解体修理が行われた。[1]

恵尊寺
所在地 京都府愛宕郡長谷村(字)出り口
位置 北緯35度04分58.3秒 東経135度47分23.2秒 / 北緯35.082861度 東経135.789778度 / 35.082861; 135.789778
本尊 薬師如来立像
長源寺 (京都市左京区)の位置(京都市内)
長源寺 (京都市左京区)
テンプレートを表示

地蔵院

[編集]

地蔵院(じぞういん)は、京都府愛宕郡長谷村(字)堀池町(現在の長源寺から長谷川を挟んで東の地点)にあった寺院。[2]

本尊の地蔵菩薩座像は江戸時代の作。同じく、現在長源寺に安置されている不動明王立像も、元は地蔵院に祀られていたと伝わる。[1]

地蔵院
所在地 京都府愛宕郡長谷村(字)堀池町
位置 北緯35度04分45.7秒 東経135度47分27.6秒 / 北緯35.079361度 東経135.791000度 / 35.079361; 135.791000
本尊 地蔵菩薩座像
長源寺 (京都市左京区)の位置(京都市内)
長源寺 (京都市左京区)
テンプレートを表示

無縁堂

[編集]

無縁堂(むえんどう)は、京都府愛宕郡長谷村(字)堀池町(地蔵院の東隣)にあった寺院。[2]

本尊の阿弥陀如来立像は江戸時代の作。[1]

無縁堂
所在地 京都府愛宕郡長谷村(字)堀池町
位置 北緯35度04分49.3秒 東経135度47分20.4秒 / 北緯35.080361度 東経135.789000度 / 35.080361; 135.789000
本尊 阿弥陀如来立像
長源寺 (京都市左京区)の位置(京都市内)
長源寺 (京都市左京区)
テンプレートを表示

常春庵

[編集]

常春庵(じょうしゅんあん)は、京都府愛宕郡長谷村(字)帯寄(おびより)にあった寺院。[2]

旧愛宕郡岩倉村(大字)長谷(小字)帯寄25番地がその跡地であり、明徳元年(1390)に建立され、元々は八塩岡[† 2]の庵室であったと伝わる。[1]

境内に「流れの紅葉」と称する一大楓樹があり、境内地より直下3mの水田へ広く長く枝をのばし、秋に紅葉する様の見事さは、今もなお、古老の口から口へと語り継がれるほど、絢爛そのものであったという。しかし、明治7年(1873)に常春庵跡地が開墾され、消滅した。境内には四条大納言藤原公任卿の墓があったが、楓と同様の憂き目を見、以降墓所の確認なく今日に至る。[1]

本尊の十一面観世音菩薩立像(頭部は10世紀末、他は南北朝時代の作。)は、慈覚大師の作にして、四条大納言藤原公任卿の念持仏なりと伝えられる。[1]

常春庵
所在地 京都府愛宕郡長谷村(字)帯寄
位置 北緯35度04分49.3秒 東経135度47分19.1秒 / 北緯35.080361度 東経135.788639度 / 35.080361; 135.788639
本尊 十一面観世音菩薩立像
創建年 明徳元年(1390)
長源寺 (京都市左京区)の位置(京都市内)
長源寺 (京都市左京区)
テンプレートを表示

妙源庵

[編集]

妙源庵(みょうげんあん)は、京都府愛宕郡長谷村(字)得尾(とくのお)にあった寺院。

本尊の阿弥陀如来立像は江戸時代に作られたといわれる。[1]

妙源庵
所在地 京都府愛宕郡長谷村(字)得尾
位置 北緯35度04分42.1秒 東経135度47分38.8秒 / 北緯35.078361度 東経135.794111度 / 35.078361; 135.794111
本尊 阿弥陀如来立像
長源寺 (京都市左京区)の位置(京都市内)
長源寺 (京都市左京区)
テンプレートを表示

文化財

[編集]

重要文化財

[編集]
  • 木造薬師如来立像(旧恵尊寺)

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 寺跡の推定位置は、中村治『洛北岩倉』の『岩倉の地名図』より。
  2. ^ 八塩岡(やしおがおか)は、平安時代から、紅葉の名所として、多くの人に和歌に詠まれて来た岡。長谷の東の山麓にあったとされるが、所在についての正確な伝承はない。(竹田源『岩倉むかしむかし』藤村和正、1978 年。)

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 松尾慶治『岩倉長谷町千年の足跡』機関紙共同出版、1988年3月10日。
  2. ^ a b c d e 中村治『洛北岩倉』明徳小学校創立百周年記念事業実行委員会、2007年。