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門野利治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
門野 利治
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府京都市伏見区
生年月日 (1948-11-09) 1948年11月9日
没年月日 (2024-12-19) 2024年12月19日(76歳没)
身長
体重
178 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 左投右打
ポジション 投手
プロ入り 1966年 第2次ドラフト1位
初出場 1967年
最終出場 1967年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

門野 利治(かどの としじ、1948年11月9日 - 2024年12月19日)は、京都府[1]出身の元プロ野球選手。ポジションは投手

来歴・人物

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平安高校では1966年、3年生の時に春夏の甲子園に出場[1]春の選抜1回戦で優勝候補の前橋工を1-0で完封し注目された。この大会では準々決勝で土佐高上岡誠二と投げ合い0-1で惜敗[2]

夏の選手権も、同じく準々決勝で報徳学園の前田正広(中大新日鐵広畑)に0-1で完封負け、準決勝には進めなかった[3]。この大会の府予選3回戦では、堀川高を相手にノーヒットノーランを達成した。

秋の大分剛健国体にも出場、1回戦で甲子園春夏連覇を果たした中京商を降す。2回戦では、この大会に優勝した松山商のエース西本明和と投げ合うが、延長10回裏1-2でサヨナラ負けを喫した。

高校同期に捕手畑矢敬治遊撃手杉政忠雄中堅手の伊藤博昭(法大大昭和製紙北海道)がおり、いずれも1966年第2次ドラフト会議で指名されたがプロ入りを拒否している。また1年下には右翼手江島巧がいた。江島は翌年ドラフト2位で中日ドラゴンズへ入団した。

国体出場後の1966年第2次ドラフト会議で、近鉄バファローズから1位指名を受け入団[1]。貴重な本格派左腕投手として期待され、背番号18を与えられる。1年目の1967年は7試合に登板、8月20日には西鉄ライオンズを相手に初先発を果たす。与田順欣と投げ合い5回を3安打2失点と好投したが、味方の援護がなく勝敗はつかなかった。その後は登板機会に恵まれず、1969年限りで引退した。シュート、カーブを武器とした。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1967 近鉄 7 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 64 13.0 17 1 9 1 0 10 1 0 14 14 9.69 2.00
通算:1年 7 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 64 13.0 17 1 9 1 0 10 1 0 14 14 9.69 2.00


背番号

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  • 18 (1967年 - 1969年)

脚注

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  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、153ページ
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

関連項目

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外部リンク

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