加藤英治
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県西春日井郡枇杷島町 |
生年月日 | 1948年4月24日(76歳) |
身長 体重 |
182 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1966年 第1次ドラフト1位 |
初出場 | 1967年6月3日 |
最終出場 | 1967年8月20日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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加藤 英治(かとう えいじ、1948年4月24日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
来歴・人物
[編集]PL学園高校では、2年生の時に、エースとして1965年の春の選抜に出場。準々決勝で高松商の小坂敏彦と投げ合うが敗退[1]。同年夏の大阪大会では準決勝で福本豊、高橋二三男のいた大鉄高に敗れる。1年上のチームメートに福嶋久晃、得津高宏、長井繁夫がいた。
翌1966年の春の選抜にも連続出場するが、1回戦で、同年に春夏連覇を果たす中京商に敗れた[1]。同年夏の大阪大会ではまたも準々決勝で大鉄高に敗退し、甲子園出場を逸する。この時の高校同期で四番打者、一塁手であった加藤秀司は、後に「英司」と改名したため、両者を間違いやすい。他に同期では二塁手の野口善男がプロ入りしている。
関西屈指の本格派右腕として注目され、速球、カーブを武器とした。
1966年第1次ドラフト会議で近鉄バファローズから1位指名を受け入団。1年目に一軍に上がり8月には初先発を果たすが、翌年以降は登板機会がなく1969年に引退した。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1967 | 近鉄 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 32 | 7.1 | 6 | 1 | 5 | 0 | 2 | 7 | 0 | 0 | 3 | 3 | 3.86 | 1.50 |
通算:1年 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 32 | 7.1 | 6 | 1 | 5 | 0 | 2 | 7 | 0 | 0 | 3 | 3 | 3.86 | 1.50 |
記録
[編集]- 初登板:1967年6月3日、対南海ホークス6回戦(日本生命球場)、6回表に3番手で救援登板、2回1失点
- 初先発登板:1967年8月20日、対西鉄ライオンズ21回戦(日本生命球場)、2回1/3無失点で勝敗つかず
背番号
[編集]- 15(1967年 - 1968年)
- 46(1969年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 加藤英治 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)