関東大震災犠牲同胞慰霊碑
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関東大震災犠牲同胞慰霊碑 (かんとうだいしんさいぎせいどうほういれいひ、朝: 관동대지진 희생 동포위령제)は、関東大震災の混乱の中で自警団に殺害された多数の朝鮮系日本人(関東大震災朝鮮人虐殺事件)を追悼するために千葉県船橋市に建立された石碑である。
慰霊碑について
[編集]この石碑は、関東大震災時に被害にあった在日朝鮮人の追悼のために在日朝鮮人連盟中央本部によって建立されたもので、千葉県船橋市立馬込霊園内(霊園入口から100mほどの右手)の一角にある。この石碑は船橋市本町にあったものが、1963年に現在の位置に移設された。
石碑の高さは5m、幅は2mほどで、石碑の裏面には
「西紀一千九百四十七年三・一革命記念日竣成」、「関東大震災犠牲同胞慰霊碑」、「在日朝鮮人連盟中央本部建之」
西紀1923年9月、関東大震災時に、軍閥官僚は、混乱の中、罹災呻吟する人民大衆の暴動化を憂慮し、自己の階級に対する憎悪の感情を進歩的人民解放の指導者と少数異民族に転嫁させ、これを抑圧、抹殺することによって、軍部独裁を確立しようと陰謀した。当時山本軍閥内閣は、戒厳令を施行し、社会主義と朝鮮人たちが共謀暴動を計画中であるとの無根言辞で、在郷軍人と愚民を扇動、教唆し、社会主義者とわれわれ同胞を虐殺するようにした。在留同胞中で、この凶変蛮行による被害者は6300余名を算え、負傷者数万に達した。この犠牲同胞の怨念は、実に千秋不滅であろう。(後略)。 — 在日本朝鮮人連盟中央総本部 委員長 尹槿筆(1947年3・1革命記念竣成)
と刻まれている。
同様の物が、同県八千代市高津の観音寺にも建立されている[1]。
法界無縁塔について
[編集]慰霊碑の左手には高さ70 - 80cmの「法界無縁塔」がある。これは1924年9月1日に船橋仏教会を中心とした有志が、殺された朝鮮人を供養するために建てたもので、1967年に船橋市本町2丁目816番地の火葬場から現在の場所に移された。その際、遺骨の発掘がおこなわれ、約百体分の遺骨が収集された。目撃者の証言によると、1923年9月4日に、船橋駅北口付近の天沼で、53人の朝鮮人が殺害され、遺体は付近の火葬場の側に埋められたが、朝鮮の相愛会の人が調査にくるということで、遺体を掘り返して火葬し、再び付近の田んぼに埋められたという。
交通
[編集]脚注
[編集]- ^ 関東大震災直後の朝鮮人虐殺 忘れない 負の歴史 “船橋で追悼式”“八千代で慰霊祭”東京新聞2021年9月7日
参考文献
[編集]- 山岸秀『関東大震災と朝鮮人虐殺 80年後の徹底検証』2002年
- 吉村昭『関東大震災』2004年
- 千葉県日本韓国・朝鮮関係史研究会『千葉のなかの朝鮮-歩いて知る朝鮮と日本の歴史』2001年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 関東各地にある関東大震災虐殺事件の追悼碑について - ウェイバックマシン(2007年7月8日アーカイブ分)
座標: 北緯35度44分15.5秒 東経140度0分19.5秒 / 北緯35.737639度 東経140.005417度