コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

関東 (工作艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
関東
基本情報
建造所 ブルミスト・アンド・ワイン社[1] (デンマーク[2])
運用者  大日本帝国海軍
艦種 工作艦[3]
母港 横須賀[4][5]
艦歴
起工 1897年
進水 1900年[1]
竣工 1900年3月[2]
最期 1924年12月12日擱座破壊[2]
除籍 1925年3月1日[6]
改名 マンチュリア[7]
→ 関東丸[7]
→ 関東[8]
要目(1924年時)
排水量 公表値:11,000ロングトン (11,177 t)[2][1]
満載排水量 14,200ロングトン (14,428 t)
軽荷排水量 7,300ロングトン (7,417 t)
総トン数 5,720トン
全長 429 ftin (130.962 m)
垂線間長 410 ft 0 in (124.968 m)
最大幅 49 ft 7+14 in (15.119 m)
吃水 20 ft 0 in (6.096 m)[2]
軽荷前部:14 ft 5 in (4.394 m)
同後部:19 ft 0 in (5.791 m)
満載前部:22 ft 0 in (6.706 m)
同後部:27 ft 3 in (8.306 m)
ボイラー 宮原式缶 4基
主機 直立3段レシプロ[1]
推進 1軸
出力 公表値:2,500 hp (1,864 kW)[2]
1920年:1,703 hp (1,270 kW)[1]
速力 全力9/10:11.8ノット (22 km/h)
公表値:11ノット (20 km/h)[9]
経済速力:8ノット (15 km/h)
燃料 1920年:石炭982ロングトン (998 t)[1]
1924年:石炭854ロングトン (868 t)
航続距離 8ノット - 5,136カイリ
乗員 1906年定員:170名[10]
公表値:161名[1][2]
搭載能力 載貨重量:300トン
獣肉庫:200
魚肉庫:80貫
野菜庫:350貫
氷庫:100貫
兵装 40口径安式12センチ砲 2門
40口径安式8センチ砲 4門
搭載艇 汽艇1隻、カッター4隻、通船3隻
その他 15トンデリック1本、3トンデリック7本
出典の無い要目は[5]による。
テンプレートを表示

関東(かんとう)は、大日本帝国海軍工作艦。元は日露戦争で捕獲したロシア汽船「マンチュリア」 (ロシア語:Маньчжурия[要出典]、6,193総トン、見積り価格842,525) である[11]関東と名のつく地名は国内外に何カ所かあるが、中国遼東半島一帯の地を指した関東州が艦名になった[9]

ロシア船名について

[編集]

ロシア船名「マニジューリヤ」は満州の意味で、日本側資料では英語読みの「マンチュリア」表記が多い。同じく日露戦争劈頭に日本側が拿捕した同名の汽船があり、そちらが「満州丸」と命名された(後の通報艦満州」)。[要出典]

艦歴

[編集]

青島の戦いの際、1914年 (大正3年) 9月30日に触雷した水上機母艦「若宮丸」の応急修理を実施[15]。また、「関東丸」は陸上に設けられた海軍機の基地の桟橋を作った[15]。10月2日には敵機の爆撃を受けたが、投下された爆弾2発は外れた[15]

艦長

[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。階級は就任時のもの。

艦長

[編集]
  • 中尾雄 大佐:1904年10月6日 - 1905年1月12日

指揮官

[編集]
  • 佐多直蔵 少佐(期間不明)[18]
  • 茶山豊也 大佐:1906年4月1日 - 10月20日
  • 秀島七三郎 大佐:1907年5月30日 - 10月15日
  • 上野亮 中佐:1907年12月11日 - 1908年7月11日
  • 小黒秀夫 中佐:1909年1月25日 - 6月23日
  • (兼)真野巌次郎 大佐:1912年6月28日 - 7月9日
  • 真野巌次郎 大佐:1912年7月9日 - 7月31日
  • 平田得三郎 大佐:1913年2月19日 - 1914年3月5日
  • 丸橋彦三郎 大佐:1914年3月5日 - 12月1日
  • 犬塚助次郎 中佐:1914年12月1日 - 1915年2月18日
  • 河野左金太 大佐:1915年2月18日 - 9月13日
  • 犬塚助次郎 中佐:1915年9月13日 - 1916年12月1日
  • 岡村秀二郎 中佐:1916年12月1日 - 1917年12月1日
  • 宮村暦造 中佐:1917年12月1日 - 1918年9月10日
  • 豊島二郎 中佐:1918年9月10日[19] - 12月1日[18][20]
  • 福村篤男 大佐:1918年12月1日[20] - 12月11日[21]
  • 今泉哲太郎 大佐:1918年12月11日 - 1919年7月14日
  • 石井祥吉 大佐:1919年7月14日[22] - 12月1日[18][23]
  • 加賀藤吾 中佐:1919年12月1日[18][23] - 1920年1月8日[24]
  • 吉富新八 中佐:1920年1月8日[24] -

特務艦長

[編集]
  • 吉富新八 中佐[18]:不詳 - 1921年9月17日[25]
  • 七田今朝一 大佐:1921年9月17日 - 1922年6月15日
  • 林清二 大佐:1922年6月15日[26] - 1922年11月20日[18][27]
  • 内藤省一 大佐:1922年12月1日[18][28] - 1923年9月15日[29]
  • 吉川真清 中佐:1923年9月15日[29] - 1923年12月1日[18][30]
  • 是恒隆 中佐:1923年12月1日[18][30] - 1924年12月1日[31]
  • 鳥野団一 中佐 1924年12月1日[32][31] - 1925年2月13日[33]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その三「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務船」
  2. ^ a b c d e f g #写真と史実(1935)p.98。
  3. ^ a b #海軍制度沿革8(1971)p.103、大正9年4月1日 (内令40)「特務艦類別等級」。
  4. ^ a b 明治38年2月14日付 達第10号
  5. ^ a b #特務艦要目コマ5-18『特務艦要目表 (大正十三年十一月調) 海軍省軍務局』
  6. ^ a b #T14達/3月コマ1、大正14年3月1日達第31号「特務艦関東 右帝國特務艦籍ヨリ除カル」
  7. ^ a b #海軍制度沿革8(1971)p.13、拿捕船処分一覧表。
  8. ^ a b 大正4年8月23日付 達第110号
  9. ^ a b #艦船名考(1928)pp.133-134
  10. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.488-489、明治39年3月23日内令第99号。将校同相当官19人、准士官3人、下士31人、判任文官9人、卒108人。
  11. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.15、拿捕船処分一覧表。
  12. ^ 明治37年4月7日付 内令第184号。
  13. ^ #海軍制度沿革8(1971)pp.391-392。
  14. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.392、明治38年2月14日 (達10)『旅順口沖ニ於テ捕獲シタル汽船「マンチュリア」號ヲ関東丸ト命名シ其ノ本籍ヲ横須賀鎮守府ト定ム』。
  15. ^ a b c 『日本海軍航空史(4)』49ページ
  16. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.103、大正4年8月23日 (達110)。
  17. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.105、大正14年3月1日 (達32)。
  18. ^ a b c d e f g h i 『軍艦「関東」越前海岸遭難記』281頁
  19. ^ 『官報』第1833号、大正7年9月11日。
  20. ^ a b 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
  21. ^ 『官報』第1909号、大正7年12月13日。
  22. ^ 『官報』第2083号、大正8年7月15日。
  23. ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  24. ^ a b 『官報』第2227号、大正9年1月9日。
  25. ^ 『官報』第2741号、大正10年9月19日。
  26. ^ 『官報』第2961号、大正11年6月16日。
  27. ^ 『官報』第3093号、大正11年11月21日。
  28. ^ 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
  29. ^ a b 『官報』第3332号、大正12年9月29日。
  30. ^ a b 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
  31. ^ a b 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  32. ^ 『軍艦「関東」越前海岸遭難記』200頁
  33. ^ 『官報』第3743号、大正14年2月16日。

参考文献

[編集]
  • 浅井将秀 編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。 
  • アジア歴史資料センター
  • 上坂紀夫『軍艦「関東」越前海岸遭難記』光人社NF文庫、2010年。ISBN 978-4-7698-2655-2 
  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。 
  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 海軍有終会 編『幕末以降帝国軍艦写真と史実』海軍有終会、1935年11月。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 日本海軍航空史編纂委員会(編)『日本海軍航空史(4)戦史篇』時事通信社、1969年
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 31巻、朝雲新聞社戦史叢書〉、1969年。