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関田駒吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

関田 駒吉(せきだ こまきち、1875年明治8年)2月15日 - 1939年昭和14年)11月5日[1])は、日本海軍軍人。最終階級は海軍少将

来歴

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1875年(明治8年)2月15日、高知県長岡郡大篠村(現在の南国市)に関田修斎の子として生まれた。海軍兵学校を卒業[2]24期)。宇治艦長、最上艦長、松江艦長、満州艦長などを歴任。のち少将を任官。退役後は郷土史の研究をした余生を過ごした。行年65歳。

駒吉は出身の海軍が象徴する船舶に興味を持ち、「廻船大法」が北条義時の命によって兵庫、浦戸、坊の津の代表が集まって貞応2年(1223年)に制定されたとする奥書を偽物とし室町期瀬戸内海水軍村上水軍の活動を示すものと論じた[3]。また、土佐南学伝統が南村梅軒が始祖とあるのに疑問を持ち、吸江寺の学統であるとし、それぞれの学説を発表した。

栄典

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位階
勲章等

脚注

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出典

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  1. ^ 『官報』第3873号、昭和14年12月2日、p.50.NDLJP:2960367/10
  2. ^ 『官報』第4342号、明治30年12月20日、p.277.NDLJP:2947629/3
  3. ^ 関田駒吉「廻船大法の奧書に就て」『土佐史談』第37号、土佐史談会、1931年、83-87頁。 
  4. ^ 『官報』第5539号「叙任及辞令」1901年12月18日。
  5. ^ 『官報』第5835号・付録「叙任及辞令」1902年12月13日。

参考資料

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  • 『高知県人名事典』高知市民図書館、1970年。