阿宗神社
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阿宗神社 | |
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所在地 | 兵庫県たつの市誉田町広山492 |
位置 | 北緯34度50分52秒 東経134度33分53秒 / 北緯34.84778度 東経134.56472度座標: 北緯34度50分52秒 東経134度33分53秒 / 北緯34.84778度 東経134.56472度 |
主祭神 |
神功皇后 応神天皇 玉依姫命 息長日子王 |
社格等 |
伝・式内社 旧県社 旧神饌幣帛料供進指定社 |
創建 | 伝・欽明天皇32年(571年) |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 10月第3日曜日 |
地図 |
阿宗神社(あそうじんじゃ)は、兵庫県たつの市誉田町広山にある神社。式内社で、旧社格は県社。
祭神
[編集]- 主祭神
- 神功皇后(じんぐうこうごう)
- 配祀神
歴史
[編集]欽明天皇32年に、宇佐八幡宮より勧請されて立岡山に鎮座した式内社が、鎌倉期に広山の現在地へ遷座。江戸期には弘山八幡宮と称する。立岡山の旧地には小宮がその後も存在していたが、旧阿宗神社は次第に寂れ、明治中期に現・阿宗神社に遷され、広山の八幡宮は阿宗神社へ改称する。明治初年まで、天台宗の斑鳩寺の別当持ちの神社で、神職は不在であった。旧神饌幣帛料供進社。
年表
[編集]- 欽明天皇32年(571年) 大伴狭手彦が勅を奉じて宇佐八幡宮の分霊を立岡山に勧請した
- 天平宝字8年(764年) 藤原貞国、新羅軍追討の祈願を行う
- 延長5年(927年) 延喜式の小社に列格
- 文治5年(1189年) 内山城主鹽津義綱[1]が揖東郡廣山村の現在地に遷座
- 文永3年(1266年) 杜殿風壊につき再建、楽々山円勝寺別当持となり、神輿行幸の祭典が始まる(それ以前は、紀内山太夫・綾部竹之進らが宮守として奉仕する)
- 正応元年(1288年) 時宗開祖の一遍上人が和歌を奉納
- 建武3年(1336年) 新田義貞が足利尊氏討伐の為に本営を置く
- 嘉慶2年(1388年)3月 国司前越後守赤松顕則が田地を寄進
- 天文6年(1537年) 樂々山円勝寺が廃寺となり、斑鳩寺がこれに替わって別当寺となる
- 天文10年(1541年)12月2日 兵火のために社殿及び末社を焼失
- 天文18年(1549年) 地頭代官周東宗次が鳥居を再興
- 元亀3年(1572年)10月25日 社殿が炎上する
- 天正2年(1574年) 9月 弘山八幡宮として再建
- 慶長12年(1607年) 舞殿・拝殿再建
- 寛政5年(1793年) 本殿の屋根替を行い、龍野城主生駒侯御供田三反を寄進
- 文化7年(1810年) 八幡宮1500年忌祭を執行し、相撲を興行した記録あり
- 文化8年(1811年) 京都吉田家(吉田神道)鈴虎縫殿、巡回の節に式内極書を下す
- 天保3年(1832年) 龍野藩主脇坂淡路守雨請祈願をする
- 明治期に阿宗神社に改称
- 明治7年(1874年)2月(明治4年4月とも) 郷社に列格
- 明治13年(1880年) 幣拝殿建て替えが落成し、正遷宮及び臨時祭典を執行
- 明治14年(1881年)6月 縣社に昇格
- 大正5年(1916年) 神饌幣帛料供進神社指定
現地情報
[編集]- 所在地
- 交通アクセス
- JR姫新線 本竜野駅下車後、徒歩20分(南へ1.5km)
- JR山陽本線・山陽新幹線・播但線 姫路駅もしくは山陽電鉄線 山陽姫路駅 下車後、神姫バス龍野行 広山バス停下車すぐ
- 国道2号太子竜野バイパス 福田ランプよりから国道179号を北上。(駐車場あり 10台)
- 周辺