阿部正鎮
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄12年11月18日(1700年1月7日) |
死没 | 宝暦元年11月4日(1751年12月21日) |
改名 | 清八郎(幼名)、正鎮 |
別名 | 正良(別名) |
戒名 | 了義院即峯玄性大居士 |
墓所 | 東京都台東区西浅草の東光院 |
官位 | 従五位下、民部少輔、因幡守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 三河国刈谷藩主→上総国佐貫藩主 |
氏族 | 阿部氏 |
父母 | 父:阿部正春、母:烏丸資慶の娘・深達院 |
兄弟 | 正鎮、正長 |
妻 | 正室:松平乗紀の娘・栄久院 |
子 |
徳相院(阿部正興正室)、娘(森川氏寿室)、 娘(戸田光邦正室)、正賀 養子:正興 |
阿部 正鎮(あべ まさたね)は、三河刈谷藩の第2代藩主、後に上総佐貫藩の初代藩主。佐貫藩阿部家2代。
生涯
[編集]元禄12年11月18日(1700年)、阿部正春(当時は上総大多喜藩主)の六男として生まれる。兄たちが早世したために世子となり、宝永6年(1709年)4月に家督を継いで刈谷藩主となる。宝永7年(1710年)5月25日、刈谷藩から佐貫藩に移封され、正徳3年(1713年)3月に従五位下・民部少輔に叙任される。
正徳4年(1714年)4月、弟の阿部正長に2000俵を分与した。正徳5年(1715年)5月に因幡守に遷任する。享保9年(1724年)に大坂加番に任じられた。宝暦元年(1751年)11月4日に死去した。享年53。跡を養子の正興が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 栄久院 - 松平乗紀の娘
子女
養子