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阿部知代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あべ ちよ
阿部 知代
プロフィール
愛称 チヨパン
出身地 日本の旗 日本 群馬県桐生市
生年月日 (1963-07-23) 1963年7月23日(61歳)
血液型 O型[1]
最終学歴 上智大学文学部新聞学科
勤務局 フジテレビジョン
部署 報道局報道センターマルチメディアニュース制作部
活動期間 1986年 -
ジャンル 報道・情報・バラエティ
配偶者 独身
出演番組・活動
出演中BSフジNEWS』(月曜午前)
出演経歴ホウドウキョク』『めざましテレビ
その他 FNS用語委員
日本新聞協会用語懇談会委員

阿部 知代(あべ ちよ、1963年7月23日[1] - )は、フジテレビの元アナウンサーで報道局社員。俳人。身長168cm。

来歴・人物

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群馬県桐生市出身[2]群馬県立桐生女子高等学校上智大学文学部新聞学科卒業[1][2][3]

1986年、フジテレビアナウンサーとして入社。入社1年目の秋改編にて『FNNニュース工場一本勝負!』に起用され、山川千秋とともにキャスターを務めた。

入社2年目から23年間『テレビ美術館』『artLover』と美術番組を担当していたため、自他共に認める日本一現代美術を愛する、かつ詳しい女性アナウンサーである。アーティストからの信頼も厚い(現代美術家である大竹伸朗も阿部のインタビューは喜んで受けるという)。

1991年から1992年までFNNパリ支局に勤務しており、フランス語英語も話せる。

1993年 - 2006年という長期間、断続的ではあるが週末のニュースを担当した。2005年にアナウンス室デスク、2007年よりアナウンス室デスク担当部長に昇格。

2012年8月からFCIニューヨーク本社に出向となった[4]

2015年夏の人事異動で報道局マルチデバイスニュースセンターシニアコメンテーターへ異動。報道局報道センターマルチメディアニュース制作部でデスク兼キャスターを務めた[5]

2021年にメンタル不調で2か月の間、休職していたことを明かしている[6]

2023年7月末日でフジテレビの正社員を定年退職した後、8月以降は嘱託社員として引き続き報道局で勤務している[7]

シャンパンワイン日本酒が好きでワインコーディネーターと唎酒師の資格を保持。

子どもの頃から古典芸能に親しみ、ニューヨーク平成中村座をはじめ歌舞伎文楽落語などに着物で出かけることが知られている。落語家・立川談春の大ファンで地方公演にも出かける「追っかけ」である。

俳人としては、榎本了壱萩原朔美白石冬美サエキけんぞう坂東彌十郎伊藤キム等が同人の「かいぶつ句会」、西東三鬼を師系とする「面」に所属し、俳句コンテストでの入賞、また歳時記、俳句誌などに句が掲載されている。

エピソード

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  • 元々、他局に比して女性アナウンサーの立場が不利であったフジテレビだが、特に報道では1978年に阿部の11期先輩[8]田丸美寿々[9]が初めてニュース番組の司会に抜擢されたものの、1980年代になっても女性アナウンサーが一人でニュースを読む事はなく、『FNNレインボー発』等のフジテレビの定時ニュースは長年にわたり男性アナウンサー限定の仕事であった。現在のように女性も担当するようになったのは、1990年代初頭に阿部が報道上層部に直訴したことによる。そのとき女子アナとして初めて1ショットのニュース(週末の『産経テレニュースFNN』)にキャスティングされ、これが功を奏して、翌1994年には安藤優子がメインの『ニュースJAPAN』もスタートした。
  • 趣味はカメラ撮影でクイズ番組なるほど!ザ・ワールド』リポーター時代、常に斜めがけしていた黒いバッグにはカメラが入っていた。腕前はプロ級で、暗室でのプリントもする。雑誌に写真エッセイを連載したり、『テレビ美術館』取材時に撮影したアーティストのポートレイトが展覧会カタログに採用されたりしたこともある。朗読舞台『ラヴシーン』のパンフレットのスナップ写真と公式サイト画像も阿部の撮影で、愛機はライカ(ラヴシーンパンフレットより)。
  • 大学在学中、4年生の時にアルバイトでNHK総合の科学情報番組『ウルトラアイ』のアシスタントを1985年4月から務めていた[2]
  • グループ展『さよなら ポラロイド』に写真を出品、この展覧会は朝日新聞2008年10月24日東京版)で大きく紹介され、阿部の写真が掲載された。
  • 森田一義アワー 笑っていいとも!』のコーナー・「テレフォンショッキング」の初代テレフォンアナウンサーの一人。1987年10月~1991年9月まで火曜日→月曜日を毎週務めた。その後、2010年10月6日(水曜日)に約19年ぶりに単発扱いで担当した。2011年4月6日(水曜日)からの半年間、再び水曜テレフォンアナを務め、2012年4月現在、第2期を担当する唯一のアナウンサーであった。
  • テレビドラマ『古畑任三郎』の「忙しすぎた男」にカメオ出演している。
  • CSの日本映画専門チャンネルで『メモリーズ』(旧『私が好きな日本映画』)の司会を担当。これがきっかけで昭和30 - 40年代の映画に詳しくなった[要出典]
  • 河東節三味線人間国宝・山彦千子に師事し、「山彦ちよ」名で歌舞伎座新橋演舞場の『助六由縁江戸桜』に河東節十寸見会連中の一員として出演している。

過去の担当番組

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レギュラー出演

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報道番組
期間 番組名 役職 担当日 備考
1986年10月1日 1987年3月31日 FNNニュース工場一本勝負! キャスター 平日
1991年10月1日 1992年9月30日 FNN World Uplink パリレポーター (交替制)
1993年4月3日 1997年9月28日 産経テレニュースFNN キャスター 休日(朝)、日曜日(昼)
1997年10月5日 2000年9月24日 日曜日(朝、昼)
1993年4月3日 1996年3月30日 FNNスピーク 土曜日 平日のリリーフを務める
1998年3月30日 1999年3月31日 FNNニュース3:50 月~水曜日
2002年10月11日 2004年3月26日 午後のワイドショー番組 NEWSレインボー発』キャスター 金曜日 番組名の詳細は各番組のページを参照
2004年4月1日 2005年9月30日 (交替制)
2005年4月2日 2006年9月30日 ニュース&すぽると! FNNニュース』キャスター 土曜日
2005年7月3日 2006年9月24日 FNNニュース キャスター 日曜日(深夜)
2005年10月6日 2010年3月25日 レインボー発 木曜日
2011年10月3日 2012年3月25日 月曜日
2007年10月5日 2008年9月26日 ハピふる! プレゼンター 金曜日
2010年4月2日 2010年10月1日 BSフジLIVE プライムニュース(BSフジ)
ニュースJAPAN
グローバルキャスター
ナレーション
2010年10月7日 2012年3月29日 木曜日
2012年4月2日 2012年6月25日 月曜日
2010年4月2日 2010年10月1日 FNNレインボー発・あすの天気 キャスター 金曜日
2010年10月7日 2011年9月29日 木曜日
2012年4月1日 2012年6月24日 シフト勤務キャスター 隔週日曜日
2012年8月22日 2014年3月28日 めざにゅ〜 ニューヨークキャスター (交替制) 『めざましテレビ アクア』の開始に伴い終了
2015年3月27日 めざましテレビ
2012年8月25日 2015年3月28日 めざましどようび
バラエティ・教養番組
ナレーション

不定期出演など

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舞台

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映画

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同期

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  • 岩瀬惠子(現:フリーアナウンサー)
  • 横井克裕(現:総務局法務室統括担当部長。防衛省陸上自衛隊オピニオンリーダー)

脚注

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  1. ^ a b c 『テレビ・タレント人名事典(第6版)』日外アソシエーツ、2004年6月、46頁。ISBN 978-4-8169-1852-0 
  2. ^ a b c 週刊TVガイド 1985年8月9日号 90頁「出番です」コーナー
  3. ^ ぐるっと東日本・母校をたずねる:群馬県立桐生高/3 元フジテレビアナ・現報道局 阿部知代さん /東京”. 毎日新聞. 2022年10月25日閲覧。
  4. ^ 日刊合同通信(マスコミ研究会)2012年7月20日付「フジ、FCI出向人事・阿部アナNY本社」より
  5. ^ "阿部知代さん「私からフジテレビを取ったら何も残らない」…フジテレビ元アナウンサー第二の人生(12)". スポーツ報知. 報知新聞社. 6 June 2021. p. 1-3. 2023年11月25日閲覧
  6. ^ 内橋明日香 (3 October 2023). "阿部知代 精神を病み休んだ時期も「自分の機嫌を良くするもので周りを埋めたい」定年後の今". CHANTO Web. 主婦と生活社. p. 1-3. 2023年11月25日閲覧
  7. ^ "阿部知代さん フジテレビアナの同窓会で「大好きな上司」に定年退職の報告 ねぎらいの言葉に「泣きそう」". Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 25 November 2023. 2023年11月25日閲覧
  8. ^ 田丸が入社した1975年当時のフジテレビの女性アナウンサーは全員が契約社員で役職も報道局解説室付リポーターであり、女性が正社員に昇格かつ報道局解説室付リポーターがアナウンサーと正式に認められたのは1981年であったので、局アナとしては正確には阿部の5期先輩である。
  9. ^ 正確には司会者の逸見政孝のアシスタントであった。また、田丸は阿部の入社する3年前(1983年)にフジテレビを退社しており、阿部とは同僚だった時期はない。
  10. ^ アナルームニュース2001年10月22日号 - フジテレビ

外部リンク

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