阿野季忠
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阿野季忠 あの すえただ | |
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生年月日 | 1886年10月4日 |
没年月日 | 1944年12月3日(58歳没) |
出身校 |
東京帝国大学法科大学法律学科(独法)卒業 (現・東京大学法学部) |
前職 | 帝国倉庫運輸監査役 |
所属政党 | 研究会 |
称号 | 正四位 |
配偶者 | 阿野国子 |
親族 | 義父・加納久宜(貴族院議員) |
在任期間 | 1944年3月24日 - 1944年12月3日 |
阿野 季忠(あの すえただ、1886年(明治19年)10月4日[1] - 1944年(昭和19年)12月3日[1][2])は、大正から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧公家の阿野家。
経歴
[編集]子爵・阿野実允の三男として生まれ、父の死去に伴い、1887年(明治20年)10月20日、子爵を襲爵した[1][3][4][5][6]。
1912年(明治45年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業[2][4][7]。1913年(大正2年)十五銀行に入行し、秘書業務部副長、監理課長、大阪支店長、取締役、副頭取などを歴任[2][4]。その他、藤永田造船所取締役、第一信託取締役、園池製作所会長、蓬莱殖産専務取締役、帝国倉庫運輸監査役などを務めた[2][4]。
1944年3月24日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[8][9]、研究会に所属して活動したが、出征し同年12月に戦死した。なお息子の季房も戦死したため、阿野子爵家は断絶した[2][8]。
栄典
[編集]親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 上巻』38頁。
- ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』33頁。
- ^ a b 『華族畫報 下』704頁。
- ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』ア23頁。
- ^ 『大日本華族大鑑』210頁。
- ^ 『官報』第1295号、明治20年10月21日。
- ^ 『東京帝国大学一覧 從大正元年 至大正2年』東京帝国大学、1913年、学士及卒業生姓名98頁。
- ^ a b 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、52頁。
- ^ 『官報』第5158号、昭和19年3月27日。
- ^ 『官報』第3672号「叙任及辞令」1924年11月18日。
参考文献
[編集]- 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
日本の爵位 | ||
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先代 阿野実允 |
子爵 阿野家第2代 1887年 - 1944年 |
次代 栄典喪失 |