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阿野実直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
阿野 実直
時代 鎌倉時代前期
生誕 承元3年(1209年[1]
死没 建長3年8月10日1251年9月4日[1]
改名 実名、実直[2]
別名 中御門中将[3]
官位 正三位右近衛中将侍従[2]
主君 後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇
氏族 藤原北家閑院流阿野家[4]
父母 父:阿野公佐、母:阿野全成の娘[2]
兄弟 実遠実直堀川具実の室、女子[2][5]
公寛公仲公秀実澄公員公澄持明院基盛の妻[1]
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阿野 実直(あの さねなお)は、鎌倉時代前期の公家

略歴

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父の公佐藤原成親の子で閑院流藤原実国の養子となった人物で、母は源頼朝の異母弟・阿野全成北条時政の娘・阿波局の間に生まれた娘である[2][6]承久の乱も明けた承久3年(1221年12月後白河院女御だった三条琮子の推挙によって13歳で叙爵侍従に任じられる[2]嘉禄2年(1226年右近衛権少将[7]寛喜2年(1230年)には従四位下に進み、嘉禎3年(1237年)右近衛中将となる。また尾張出羽備中常陸を歴任した。建長元年(1249年従三位となり公卿に列する。建長3年(1251年)侍従に再任したが、その年に薨去した[2]。子で公卿に昇ったのは長男の公寛のみだが[8]堂上家として家系を伝えたのは次男の公仲の系統である[4]

官歴

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※出典のない項目はいずれも『公卿補任建長元年条による[2]

系譜

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  • 父:阿野公佐
  • 母:阿野全成の娘
  • 妻:不詳
    • 男子:阿野公寛
    • 男子:阿野公仲
    • 男子:阿野公秀
    • 男子:阿野実澄
    • 男子:阿野公員
    • 男子:阿野公澄
    • 女子:持明院基盛室

脚注

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  1. ^ a b c 『大日本史料』5-36, pp. 92–93.
  2. ^ a b c d e f g h 『大日本史料』5-36, p. 92.
  3. ^ 『大日本史料』5-19, p. 437.
  4. ^ a b 村田 1979.
  5. ^ 『尊卑分脉』, §魚名公三男美作守末茂孫.
  6. ^ 『大日本史料』5-4, pp. 165–166.
  7. ^ a b 『大日本史料』5-3, p. 459.
  8. ^ 『大日本史料』5-36, p. 93.

参考文献

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  • 村田正志「阿野家」『国史大辞典』 1巻、吉川弘文館、1979年。ISBN 978-4-642-00501-2 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 3巻、東京大学出版会、1969年。ISBN 978-4-13-090203-8 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 4巻、東京大学出版会、1969年。ISBN 978-4-13-090204-5 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 19巻、東京大学出版会、1973年。ISBN 978-4-13-090219-9 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 36巻、東京大学出版会、2018年。ISBN 978-4-13-090236-6 
  • 尊卑分脉』 2巻、吉川弘文館〈新訂増補国史大系〉、2007年。ISBN 978-4-64-204062-4