隠岐ノ島恵一
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基礎情報 | ||||
四股名 | 鋤谷 惠一 → 隠岐ノ島 惠一 | |||
本名 | 鋤谷 惠一 | |||
生年月日 | 1934年5月31日 | |||
没年月日 | 1986年8月10日(52歳没) | |||
出身 | 島根県知夫郡(現隠岐郡西ノ島町) | |||
身長 | 173cm | |||
体重 | 75kg | |||
BMI | 25.06 | |||
所属部屋 | 時津風部屋 | |||
得意技 | 右四つ、寄り | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東十両7枚目 | |||
生涯戦歴 | 173勝148敗(32場所) | |||
優勝 |
三段目優勝1回 序二段優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1954年1月場所 | |||
引退 | 1960年5月場所 | |||
備考 | ||||
2009年8月5日現在 |
隠岐ノ島 惠一(おきのしま けいいち、1934年5月31日 - 1986年8月10日)は、島根県知夫郡(現隠岐郡西ノ島町)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名:鋤谷 惠一(すきたに けいいち)。最高位は東十両7枚目(1959年5月場所)。得意技は右四つ、寄り。
来歴
[編集]1954年1月場所で初土俵を踏む。新序で好成績を残したため、翌場所は序ノ口を飛び越えて序二段に上がり、そこでも好成績を残すと、9月場所では序二段優勝、1955年3月場所では三段目優勝を果たして翌5月場所には早くも幕下へ昇進した。幕下では苦戦することもあったが、初土俵から4年経った1958年9月場所に十両へ昇進。 1960年5月場所限りで引退。引退後は大阪府で運送会社を経営した。
主な成績
[編集]- 生涯成績:173勝148敗 勝率.539
- 十両成績:71勝79敗 勝率.473
- 現役在位:32場所
- 十両在位:10場所
- 各段優勝
- 三段目優勝:1回(1955年3月場所)
- 序二段優勝:1回(1954年9月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1954年 (昭和29年) |
新序 2–1 |
西序二段64枚目 6–2 |
西序二段30枚目 7–1 |
x | 東序二段4枚目 優勝 8–0 |
x |
1955年 (昭和30年) |
西三段目34枚目 4–4 |
西三段目25枚目 優勝 8–0 |
西幕下44枚目 2–6 |
x | 東幕下50枚目 5–3 |
x |
1956年 (昭和31年) |
西幕下42枚目 3–5 |
東幕下45枚目 5–3 |
西幕下38枚目 5–3 |
x | 東幕下31枚目 6–2 |
x |
1957年 (昭和32年) |
西幕下19枚目 5–3 |
東幕下11枚目 5–3 |
西幕下7枚目 4–4 |
x | 西幕下7枚目 3–5 |
東幕下11枚目 3–5 |
1958年 (昭和33年) |
東幕下15枚目 4–4 |
東幕下14枚目 6–2 |
西幕下5枚目 5–3 |
西幕下筆頭 5–3 |
西十両23枚目 9–6 |
西十両19枚目 7–8 |
1959年 (昭和34年) |
東十両20枚目 9–6 |
西十両15枚目 9–6 |
東十両7枚目 5–10 |
西十両11枚目 5–10 |
西十両17枚目 8–7 |
東十両17枚目 9–6 |
1960年 (昭和35年) |
東十両11枚目 6–9 |
西十両14枚目 4–11 |
西幕下2枚目 引退 1–7–0 |
x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
四股名変遷
[編集]- 鋤谷 惠一(すきたに けいいち)1954年1月場所 - 3月場所
- 隠岐ノ島 惠一(おきのしま けいいち)1954年5月場所 - 1960年5月場所
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 隠岐ノ島 惠一 - 相撲レファレンス