青地球磨男
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選手情報 | ||||
ラテン文字 | Kumao Aochi | |||
国籍 | 日本 | |||
競技 | 中距離走 | |||
種目 | 800メートル競走 | |||
大学 | 立教大学 | |||
生年月日 | 1914年9月22日 | |||
出身地 | 東京府 | |||
没年月日 | 2004年5月8日 (89歳没) | |||
死没地 | 東京都 [1] | |||
自己ベスト | ||||
800m | 1分54秒0(1934年)[2] | |||
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青地 球磨男(あおち くまお、1914年9月22日[2] - 2004年5月8日[1])は、日本の中距離ランナー。1936年ベルリンオリンピックに800メートル競走で出場。
経歴
[編集]東京府出身。立教大学に進む。第15回大会(昭和9年・1934年)から第18回大会(昭和12年・1937年)まで4大会連続で箱根駅伝に出場し、第18回大会では10区を1位(1時間14分13秒)で走り10区区間賞を獲得した[3][4]。
1934年(昭和9年)9月8日・9日の2日間に明治神宮外苑競技場で行われた日本陸上競技連盟主催の日米国際対抗陸上競技大会[5]では男子800mに出場し1分54秒0で走り日本記録を出した[6]。
同年10月20日・21日の2日間に甲子園南運動場で行われた日本陸上競技選手権大会でも男子800mに出場し1分58秒9で走り優勝した[7][8]。
1936年ベルリンオリンピックで代表選手に選ばれ[注釈 1]、男子800メートルに出場したが、予選で敗退した[2][3]。
1937年(昭和12年)に三井鉱山に就職し、三井砂川鉱業所に配属された[10][11]。当時の三井砂川ではスポーツ振興に力を入れており、ベルリンオリンピック金メダリストの田島直人など大学陸上部出身者が採用されていた[11]。1950年代初頭に青地は三井砂川鉱業所で労務課長を務めており、炭鉱と地域の一大イベントであった「運動会」で審判長を務めている[12]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “青地球磨男氏死去/ベルリン五輪陸上代表”. 四国新聞. (2004年5月12日) 2023年4月24日閲覧。
- ^ a b c “Kumao Aochi Olympic Results”. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月19日閲覧。
- ^ a b 立大、箱根100回大会での復活へ充実の夏…合宿走破距離倍増800キロも故障者は激減 スポーツ報知 2019年9月14日
- ^ “選手詳細 青地 球磨男”. 箱根駅伝公式サイト. 2023年3月24日閲覧。
- ^ 日米国際対抗陸上競技大会 - ジャパンアーカイブズ 2020年1月27日閲覧。
- ^ 日本学生記録の変遷 公益社団法人 日本学生陸上競技連合
- ^ 過去の優勝者・記録 日本陸上競技連盟公式サイト
- ^ 過去の開催地 日本陸上競技連盟公式サイト
- ^ “オリンピック(夏季)に出場した立教生・校友” (pdf). 東京オリンピック・パラリンピックプロジェクト. 立教大学 (2016年7月1日). 2021年8月19日閲覧。
- ^ 北海道陸上競技史 上 p35 国立国会図書館サーチ
- ^ a b 大塚美栄子 & 滝波武 1992, p. 100.
- ^ 大塚美栄子 & 滝波武 1992, p. 104.
参考文献
[編集]- 大塚美栄子、滝波武「北海道空知郡上砂川町におけるスポーツ活動について : 三井砂川鉱業所における運動会を中心に」『北海道教育大学紀要. 第二部. C,家庭・養護・体育編』第43巻第1号、北海道教育大学、1992年7月、95-109頁、doi:10.32150/00004051、ISSN 0386-4901、NAID 110004300411、CRID 1390857777802991360、2023年5月11日閲覧。