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青森市立女鹿沢小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青森市立女鹿沢小学校
地図北緯40度41分52.9秒 東経140度33分51秒 / 北緯40.698028度 東経140.56417度 / 40.698028; 140.56417座標: 北緯40度41分52.9秒 東経140度33分51秒 / 北緯40.698028度 東経140.56417度 / 40.698028; 140.56417
過去の名称 女鹿沢小学
女鹿沢尋常小学校
女鹿沢国民学校
女鹿沢村立女鹿沢小学校
浪岡町立女鹿沢小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 青森市
併合学校 成業小学校
設立年月日 1876年11月7日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B102210001793 ウィキデータを編集
所在地 038-1332
青森県青森市浪岡大字下十川字扇田19番2号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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青森市立女鹿沢小学校(あおもりしりつ めがさわしょうがっこう)は、青森県青森市浪岡(旧南津軽郡浪岡町大字下十川扇田にある公立小学校

沿革

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  • 1876年明治9年)11月7日 - 女鹿沢村の海老名久右衛門宅を教場とし、女鹿沢小学として発足。
  • 1887年(明治20年) - 女鹿沢尋常小学校と改称。
  • 1888年(明治21年)6月 - 女鹿沢字種本30番地の旧郷蔵を改築し、校舎とする。
  • 1896年(明治29年)8月 - 女鹿沢字西花岡74番地に校舎移転。
  • 1923年大正12年)12月 - 女鹿沢字東富田100番地に校舎新築移転。
  • 1941年昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、女鹿沢国民学校と改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学校教育法施行(学制改革)により、女鹿沢村立女鹿沢小学校と改称。同日、女鹿沢中学校を併設し、高等科生を中学校に移籍。
  • 1953年(昭和28年)12月18日 - 女鹿沢中学校独立校舎新築分離。
  • 1962年(昭和37年)4月1日 - 成業小学校を併合。
  • 1954年(昭和29年)12月15日 - 女鹿沢村が浪岡町に合併された為、浪岡町立女鹿沢小学校と改称。
  • 1963年(昭和38年)
    • 2月 - 下十川字扇田19番地に新校舎着工。
    • 12月25日 - 新校舎竣工。
  • 1964年(昭和39年)
  • 1965年(昭和40年)4月15日 - 国立岩木診療所内に岩木学級開設。
  • 2000年平成12年)3月 - 下十川字扇田19番2号(現在地)に新校舎着工。
  • 2002年(平成14年)11月15日 - 新校舎落成記念式典を挙行。
  • 2005年(平成17年)4月1日 - 浪岡町が青森市に合併された為、青森市立女鹿沢小学校と改称。

学区

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出典[1]
  • 女鹿沢(字東花岡の一部、字西花岡、字東種本の一部、字西種本、字東富田、字西富田、字赤茶、字東増田、字西増田、字平野、字野尻、字生田)
  • 下十川(字扇田、字村元、字富岡、字宮本、字大沼袋、字白鳥沼)
  • 増舘(字若柳、字富岡、字宮元)
  • 銀(字杉田、字前田、字稲田)

進学先中学校

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周辺

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アクセス

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参考資料

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  • 『浪岡町史 第四巻』(浪岡町・2004年12月15日発行)「第Ⅶ部 21世紀を迎えて・第4章 ゆたかな教育」の557頁~558頁「第一節 社会教育・二 現在の小学校・女鹿沢小学校」。
  • 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)787頁「学校沿革 小学校 女鹿沢小学校」。

脚注

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  1. ^ 青森市立小・中学校の通学区域一覧(小学校) (PDF) - 青森市

外部リンク

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