飯田新右衛門
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飯田 新右衛門(新右衞門、いいだ しんうえもん、1861年1月20日(万延元年12月10日[1])- 1915年(大正4年)7月31日[1][2][3])は、明治から大正初期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]常陸国筑波郡真瀬村(若森県筑波郡真瀬村、新治県筑波郡真瀬村、茨城県[2]筑波郡真瀬村、真瀬村[3][4]真瀬[1]、谷田部町真瀬[1]を経て現つくば市真瀬)の旧家に生まれた[1]。秋場桂園、村田雷蔵らから漢学、法律学を学んだ[1]。農業を営む[1]。
筑波郡福岡村外二カ村連合戸長、筑波郡書記、登記所書記、学務委員などを務めた[1][2]。1892年(明治25年)茨城県会議員に選出され1896年(明治29年)まで在任し[1][2][4]、同常置委員も務めた[1][2][4]。
1908年(明治41年)5月、第10回衆議院議員総選挙(茨城県郡部、立憲政友会)で初当選し[1][5]、1912年(明治45年)5月の第11回総選挙(茨城県郡部、立憲政友会)でも再選され[5]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3][4]。
実業界では、東京荻窪銀行頭取、竜ケ崎瓦斯社長などを務め[1]、また、板垣退助の信任を受けて土陽新聞(現高知新聞)社長に就任した[1][3]。
腎臓病の療養中、1915年7月、東京市浅草区黒船町の自宅で死去した[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 青野権右衛門編『立憲政友会功労者追遠録』安久社、1933年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 茨城県議会史編さん委員会編『茨城県議会史 第2巻』茨城県議会、1963年。
- 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。