養老町立日吉小学校
表示
養老町立日吉小学校 | |
---|---|
北緯35度19分34秒 東経136度33分12秒 / 北緯35.32607度 東経136.55325度座標: 北緯35度19分34秒 東経136度33分12秒 / 北緯35.32607度 東経136.55325度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 養老町 |
設立年月日 | 1873年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B121234100077 |
所在地 | 〒503-1332 |
岐阜県養老郡養老町中138 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
養老町立日吉小学校(ようろうちょうりつ ひよししょうがっこう)は、岐阜県養老郡養老町にある公立小学校。
通学区域
[編集]沿革
[編集]- 1873年(明治6年)
- 1873年(明治9年) - 日新義校から大塚村、安久村、高畑村が離脱し、文開学校[注釈 2]を開校する。
- 1885年(明治18年)11月 - 敬業学校、敬業支校、致遠学校、日新義校が合併し、謙益学校となる。飯田村に飯田分教場、祖父江に祖父江分教場、江月村に江月分教場を設置。
- 1886年(明治19年)
- 11月 - 宇田尋常小学校に改称する。
- 12月 - 飯田分教場が飯田尋常小学校、祖父江分教場が祖父江簡易科小学校、江月分教場が江月簡易科小学校として独立する[注釈 3]。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 宇田村、橋爪村、中村、豊村、安久村が合併し、日吉村が発足。
- 1893年(明治26年) - 日吉尋常高等小学校に改称する。校区は日吉村と多芸村の一部(多岐・飯積)。
- 1902年(明治35年) - 多芸村多岐地区の委託を解消。
- 1921年(大正10年) - 多芸村に多芸尋常小学校が開校したことにより、多芸村飯積地区の委託を解消。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 日吉国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 日吉村立日吉小学校に改称する。
- 1954年(昭和29年)11月3日 - 高田町、養老村、上多度村、広幡村、池辺村、笠郷村、小畑村、多芸村、日吉村、合原村の一部と合併し、養老町が発足。同時に養老町立日吉小学校に改称する。
- 1955年(昭和30年)4月 - 旧・合原村(室原地区)が校区となる。
- 1964年(昭和39年) - 現在地に移転。
合原村立合原小学校
[編集]合原村立合原小学校は、不破郡合原村(現・不破郡垂井町栗原、養老郡養老町室原)が校区であった。現在は垂井町立合原小学校として、校区は垂井町栗原のみである。ここでは参考として、室原地区を中心にして記述する。1897年から1945年までの合原小学校は垂井町立合原小学校#沿革を参照。
- 1874年(明治7年)11月 - 室原村に原生義校が開校。廃院となった知善院を仮校舎とする。
- 1881年(明治14年) - 原生小学校に改称する。
- 1885年(明治18年) - 原生小学校と栗原村の省成学校と合併し、両原小学校となる。
- 1889年(明治22年) - 室原簡易科小学校に改称する。
- 1893年(明治26年) - 栗原村が分離し、栗原簡易科小学校が開校する。
- 1897年(明治30年) -
- 栗原村と室原村が合併し、合原村が発足。
- 室原簡易科小学校と栗原簡易科小学校が合併し、合原尋常小学校となる。校舎は旧・栗原簡易科小学校を使用することとなり、室原地区から学校が無くなる。
- 1946年(昭和21年) - 学制改革により合原村と日吉村で組合立合日中学校を設置。中等教育(国民学校高等科1・2年)を開始。
- 1947年(昭和22年) - 合日中学校を廃止。合原村は組合立不破中学校校区、日吉村は組合立高田中学校校区となる。
- 1954年(昭和29年)
- 11月3日 - 高田町、養老村、上多度村、広幡村、池辺村、笠郷村、小畑村、多芸村、日吉村、合原村の一部(室原)と合併し、養老町が発足。室原地区の児童は引き続き合原小学校に、中学生は組合立不破中学校に通学する。
- 12月1日 - 合原村が垂井町に編入される。
- 1955年(昭和30年)4月 - 室原地区の児童は養老町立日吉小学校に転入する。中学生は新入生は養老町立高田中学校へ入学し、垂井町立不破中学校の在校生は、卒業まで在籍となる。
注釈
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 養老町史 通史編 上 (養老町 1982年) P.803 - 892
- 養老町史 通史編 下 (養老町 1982年) P.1 - 102