首尾の松
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首尾の松(しゅびのまつ)は、隅田川西岸の、東京都台東区浅草蔵前に生育している松。
概要
[編集]柳橋の舟宿から猪牙舟に乗って大川(隅田川)へ出て、山谷(吉原遊廓方面)へ向かったところにある、川面に枝をつき出した松をこう呼んだ[1]。
御蔵の四番堀と五番堀の間にあり、江戸の名所を記した案内記『江戸名所花暦』では
首尾の松 浅草御蔵の内。 椎木の向、御蔵の川はたの松。川面へさしかゝる松也。これもうれしの森の類にて、あとなくいひならはせし也。
とある[2]。名前の由来は、
- 吉原帰りの客がこの松の生えている場所で舟を泊め、今宵の遊女との首尾を語り合ったことから[3]。
- これから吉原へ向かう人々がここで首尾を祈った[4]。または、「首尾を果たす松」としゃれて験を担ぎ、ここから舟で吉原へ向かった[5]。
- 松のある辺りに屋根舟を舫いつけ、何か用事をこしらえた船頭が陸に上がっている間に、客が一緒に乗った芸者などと「しっぽり首尾をする」ことから[1]。
- 舟で吉原から帰る際に、この松のある場所で明け方を迎えれば首尾もよいことから[1]。
など、諸説ある。
- 「十をばかり水をこぢると松に成り」 - 柳橋の舟宿から猪牙舟に乗って大川(隅田川)へ出ると、左岸の御蔵に首尾の松が見えたことを詠んだ歌。「こぢる」は艪を押すこと[6]。
- 「名木は水の中から枝を出し」 - 松が河面へ枝を張り出していたことを詠んだ歌[6]。
といった川柳も作られた。
松の変遷
[編集]初代の松は、安永年間に風で倒れ、2代目は安政年間に折れた[2]。
蔵前1丁目3番地の蔵前橋畔南側にある松は7代目(1999年3月時点)で、江戸時代に生えていた場所よりも約100メートル川上にある[2]。
歌川広重の浮世絵
[編集]歌川広重の浮世絵『名所江戸百景』にも描かれている。この絵の右に描かれているのが平戸新田藩の松浦氏の屋敷で、その先にある椎の木の森は「嬉の森(うれしのもり)」と呼ばれる[7]。
「松浦邸の椎の木を、嬉の森といふは、吉原通ひの人、舟にて帰るに、此所にて暁なれば、帰るに首尾もよく、嬉しといふより名づけたるなり、向うの岸の松を、首尾の松といふも、これと同じ」(『墨水銷夏録』[1])
脚注
[編集]- ^ a b c d 「首尾の松」三谷一馬著 『江戸吉原図聚』 中公文庫、67頁。
- ^ a b c d 「首尾の松」台東区文化財調査報告書 第24集『蔵前に札差あり - 江戸の金貨からたどる文化史』、9頁。
- ^ 【首尾の松】エディキューブ編 『彩色 大江戸事典』双葉社、188頁。
- ^ 『名所江戸百景 浅草川首尾の松御厩河岸』正井泰夫監修 『江戸の地図帳』青春出版社、47頁。
- ^ 【首尾の松】『江戸の用語解説』江戸人文研究会編 廣済堂出版、205頁。
- ^ a b 三谷一馬著 『江戸吉原図聚』 中公文庫、39頁。
- ^ 三谷一馬著 『江戸吉原図聚』 中公文庫、39頁、67頁。
参考文献
[編集]- エディキューブ編 『彩色 大江戸事典』双葉社 ISBN 978-4-575-30375-9
- 江戸人文研究会編 『江戸の用語解説』廣済堂出版 ISBN 978-4-413-04380-9
- 正井泰夫監修 『江戸の地図帳』青春出版社 ISBN 978-4-413-04380-9
- 三谷一馬著 『江戸吉原図聚』 中公文庫 ISBN 4-12-201882-X
- 台東区文化財調査報告書 第24集『蔵前に札差あり - 江戸の金貨からたどる文化史』
関連項目
[編集]座標: 北緯35度42分4.6秒 東経139度47分32.4秒 / 北緯35.701278度 東経139.792333度