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高ノ山三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高ノ山 三郎(たかのやま さぶろう、1896年11月15日 - 没年不明[1])は、和歌山県和歌山市出身で出羽海部屋に所属した力士。本名は宮尾 三郎。176cm、94kg。最高位は西前頭6枚目。得意技は右四つ、寄り、投げ。

経歴

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早稲田実業高校に在学中、自ら角界に飛び込んだインテリ力士。

1912年5月初土俵、1919年5月十両昇進。1922年1月入幕を果たす。病気療養中に家族とともに関東大震災に遭遇し、本人以外の家族は全員死亡したため、悲嘆に暮れてしまい、1924年1月場所前に27歳の若さで廃業した。被災当時、義両親、二人の義姉、妻と二人の子供がいたが、妻は翌月に第三子の出産を控えていたという。

廃業後は家族の冥福を祈るため、高野山で出家得度を受け、満州にいる兄の元に身を寄せ、その後、四国巡礼のお遍路さんになったというが、その後の消息は不明。

主な成績

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  • 通算成績:24勝32敗17休2預 勝率.429
  • 幕内成績:13勝20敗17休1預 勝率.394
  • 現役在位:11場所
  • 幕内在位:5場所

場所別成績

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高ノ山 三郎
春場所 夏場所
1912年
(明治45年)
x x
1913年
(大正2年)
x x
1914年
(大正3年)
x x
1915年
(大正4年)
x x
1916年
(大正5年)
x x
1917年
(大正6年)
x x
1918年
(大正7年)
x x
1919年
(大正8年)
x 西十両10枚目
3–2 
1920年
(大正9年)
西十両3枚目
2–4 
西十両11枚目
1–3
(1預)
 
1921年
(大正10年)
x 西十両7枚目
5–3 
1922年
(大正11年)
東前頭16枚目
4–6 
西前頭13枚目
4–6 
1923年
(大正12年)
東前頭12枚目
4–2–3
(1預)
 
西前頭6枚目
1–6–4 
1924年
(大正13年)
西前頭13枚目
引退
0–0–10
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名

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  • 高ノ山 三郎(たかのやま さぶろう)1912年1月場所 - 1924年1月場所[2]

脚注

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  1. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 52頁
  2. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

関連項目

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