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高石和道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高石 和道(たかいし かずみち、生年不明 - 1878年明治11年)7月26日[1])は、明治時代の官吏中野県大参事。本姓は源、通称は幸次[1]

経歴

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福島県士族[1]明治政府に出仕し、1869年(明治2年)初め頃、営繕判司事を拝命し、1870年(明治3年)土木大佑に任じた[1]

同年10月9日、中野県大参事に任じ[2]、翌11月20日まで務めた[3]が、中野騒動に遭遇し、逃亡した。 その後、1872年(明治5年)頃、土木助に任じ、1875年(明治8年)6月25日、工部省六等出仕、同年11月30日、営繕助に復した[1]

栄典

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位階

脚注

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  1. ^ a b c d e f 大植 1935, 119頁.
  2. ^ 保科 1882, 157頁.
  3. ^ 赤羽ほか 1989, 806頁.

参考文献

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  • 保科保 編『地方沿革略譜』報告社、1882年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/784650 
  • 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1262271 
  • 赤羽篤ほか 編『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。ISBN 4876631263