永安百治
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永安 百治(ながやす ももじ[1] / はくじ[2]、1895年〈明治28年〉4月13日[3] - 1943年〈昭和18年〉1月10日[2])は、日本の内務官僚。官選県知事。
経歴
[編集]兵庫県出身。小学校を卒業後、1916年2月、専門学校入学者試験検定に合格。1917年9月、兵庫県属となる。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。1921年1月、国勢院第二部勤務属となる[1][3][4]。
内務省に転じ、同省地方局、茨城県、静岡県、京都府、内務省衛生局に勤務。1933年、視察で欧米に出張。以後、内務省地方局財務課長、宮城県書記官・総務部長、東京府経済部長、内務省労働課長などを歴任[1][2]。
1940年4月、香川県知事に就任[2]。1942年1月、長野県知事に転任。食料増産政策を推進した。1943年1月、知事在任中に死去した[5]。
著作
[編集]- 『地方財政調整論』河中俊四郎、1933年。
関連図書
[編集]- 『永安百治追想録』永安きみ、1973年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 赤羽篤外編『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
- 国勢院総裁官房「単行書・国勢院引継書類(六ノ一)・判任官以下人事ニ関スル綴・大正十年度」アジア歴史資料センター レファレンスコード:A07090200000